9  価数だけでは足りない

何を見落としていたのか。
崩れたのは Co の価数ではなく、Co をつないでいたもののほうだった。

1 磁化曲線をもう一度読む

前章では、磁化曲線から飽和磁化という一つの数を読み取り、それを Tl 量に対して並べた。本章では、同じ曲線を形ごと読む。

第6章で得た描像を思い出そう。酸素空孔に捕まった電子が、まわりの多数の Co を巻き込んで一つの大きな磁気の塊をつくる。これが束縛磁気ポーラロン(BMP)だった。

もしこの描像が正しいなら、磁化曲線の形は予言できる。同じ大きさの塊が独立に磁場に応答するとき、その磁化は Langevin 関数 に従う。

\[ M(H) = M_s\, L\!\left(\frac{\mu_{\mathrm{eff}} \mu_{\mathrm B} H}{k_{\mathrm B} T}\right) + \chi_0 H, \qquad L(y) = \coth y - \frac{1}{y} \tag{1}\]

第一項が塊の寄与、第二項が磁場に比例する背景(ばらばらの Co イオンなど)である。ここで \(\mu_{\mathrm{eff}}\)塊 1 個の実効モーメントで、\(M_s\) はその塊成分の飽和磁化である。

この式を実測の磁化曲線に当てはめれば、\(\mu_{\mathrm{eff}}\)\(M_s\)\(\chi_0\) の三つが決まる。曲線の曲がり具合\(\mu_{\mathrm{eff}}\) を、高さ\(M_s\) を、傾いた台\(\chi_0\) を決める。

記号を混ぜない

本章には \(p_{\mathrm{eff}}\)\(\mu_{\mathrm{eff}}\) が両方出てくる。

  • \(p_{\mathrm{eff}}\)(第4章以降)は イオン 1 個 の有効ボーア磁子数。値は 3 前後。
  • \(\mu_{\mathrm{eff}}\)(本章)は ポーラロン 1 個 の実効モーメント。値は \(10^1\) から \(10^4\)

名前は似ているが、桁が 4 つ違う別の量である。

2 ポーラロンの大きさ

Tl 量を変えた試料それぞれについて、真空加熱後の 300 K の磁化曲線を 式 1 で当てはめた結果が次である。

Tl 量 \(x\) \(\chi_0\) (\(\mu_{\mathrm B}\)/(Co·T)) \(M_s\) (\(\mu_{\mathrm B}\)/Co) \(\mu_{\mathrm{eff}}\) (\(\mu_{\mathrm B}\))
0.0 0.0095 0.028 \(3.1\times10^4\)
0.1 0.0026 0.0059 \(3.1\times10^4\)
0.2 0.0012 0.0053 12
0.6 0.0019 0.00015 10

まず \(\mu_{\mathrm{eff}}\) の大きさに驚いてほしい。\(3.1\times10^4\ \mu_{\mathrm B}\) である。Co²⁺ 1 個が出せるのはせいぜい 3 \(\mu_{\mathrm B}\) だから、1 個のポーラロンが約 1 万個の Co を巻き込んでいることになる。

どれくらいの大きさか、見積もってみよう。この試料では Co は陽イオンの 5 % を占める。陽イオンの数密度は第6章で求めた \(3.09\times10^{22}\ \mathrm{cm^{-3}}\) だから、Co の数密度は \(1.54\times10^{21}\ \mathrm{cm^{-3}}\) である。1 万個の Co が入る体積は \(6.5\times10^{-18}\ \mathrm{cm^3}\)、球とみなせば半径は 約 12 nm になる。

これは結晶粒の大きさに迫る値である。ポーラロンが粒とほぼ同じ大きさなら、隣どうしが重なるのはむしろ当然で、系全体につながる道ができる。第2章のパーコレーションの困難は、こうして回避されていたことになる。

低 Tl の試料では、半径 10 nm 規模の巨大な磁気の塊が重なり合っている。強磁性を担っていたのは Co 個々ではなく、この重なりである。

3 重なりが切れる

そして \(x = 0.2\) で、\(\mu_{\mathrm{eff}}\) は 12 に落ちる。\(3.1\times10^4\) から 12 へ、2583 分の 1 である。

図 1 は、この崩壊を格子の変化と並べたものである。

図 1: この図が言うこと:原因(格子)はなだらかに変わるのに、結果(ポーラロン)は崖から落ちる。\(x = 0.1\) から \(0.2\) のあいだで格子はわずか 0.15 % しか広がらないのに、ポーラロンの実効モーメントは 3 桁近く落ちる。図:著者作成(Hagiya ら, J. Magn. Magn. Mater. 630 (2025) 173450, Table 1 および Table 2)。

左が格子定数である。Tl 量に対してほぼ直線的に伸びる。\(x = 0.1\) から \(0.2\) への変化はわずか 0.15 % にすぎない。

右がポーラロンの実効モーメントである。同じ区間で 3 桁近く落ちる。

原因は連続的、結果は不連続的。この非対称は偶然ではない。

0.15 % の格子変化が、2583 倍の応答を引き起こす。これは比例関係ではなく、しきい値の振る舞いである。

しきい値の物理は、第2章のパーコレーションと同じ論理である。重なり合った塊が系全体をつなぐか、つながないか。つながっている状態からわずかに間隔を広げただけでも、道が切れれば一気に全体が崩れる。連続的な原因が不連続な結果を生むのは、まさにこういう場合である。

論文自身も、Tl による抑制を二つの効果の組み合わせとして整理している。格子が広がって Co–Co 距離が重なりの臨界範囲を越えること、そしてポーラロンの実効モーメントが崩壊すること。加えて、磁化がすぐに下がり始めることから、長距離の RKKY 相互作用が主たる機構である可能性は低いとしている。

4 競合する説明を並べる

ここまでの読みは一つの筋書きである。しかし、同じデータを説明しうる筋書きは他にもある。教材として誠実であるためには、それらを並べておかなければならない。

flowchart TB
  T["Tl³⁺ を入れる<br>(大きい・重い・電子配置が違う)"]:::cause
  T --> A["格子が 1.2 % 広がる"]:::mech
  T --> B["局所的な電荷のつり合いが変わる"]:::mech
  T --> C["酸素空孔のできやすさ・<br>分布が変わる"]:::mech
  T --> D["Co の周りの結晶場が変わる"]:::mech
  A --> R1["Co−Co 距離が伸び<br>ポーラロンが重ならない"]:::eff
  B --> R2["キャリアが補償され<br>ドナー電子が減る"]:::eff
  C --> R3["磁性を媒介する<br>空孔が足りない"]:::eff
  D --> R4["Co の局在性が変わり<br>交換が弱まる"]:::eff
  R1 --> X["室温強磁性が弱くなる"]:::obs
  R2 --> X
  R3 --> X
  R4 --> X
  classDef cause fill:#fff3cd,stroke:#ffc107,stroke-width:2px
  classDef mech fill:#d1ecf1,stroke:#17a2b8
  classDef eff fill:#f8d7da,stroke:#dc3545
  classDef obs fill:#d4edda,stroke:#28a745,stroke-width:3px
図 2: Tl を入れると室温強磁性が弱くなる理由の候補。どれも観測と両立し、この実験だけでは選べない。互いに排他でもない。図:著者作成。

図 2 の四つの経路は、どれも観測と矛盾しない。そして互いに排他でもない。同時に起きていて構わないし、実際おそらく複数が同時に効いている。

\(\mu_{\mathrm{eff}}\) の崩壊は、経路 R1(重なりが切れる)を直接支持する証拠に見える。だが注意が要る。\(\mu_{\mathrm{eff}}\) は磁化曲線に模型を当てはめて出した数であって、顕微鏡で測ったポーラロンの大きさではない。模型が違えば、同じ曲線から別の数が出る。

測定から直接読む量と、模型を通して出る量

第8章で使った 0.064 \(\mu_{\mathrm B}\)/Co は、磁化曲線から直接読んだ飽和磁化である。本章の表にある \(M_s = 0.028\ \mu_{\mathrm B}\)/Co は、式 1 を当てはめたときにポーラロン成分が担う分として出てきた数である。同じ試料の「飽和磁化」という言葉で呼ばれるが、意味が違う。

模型を通して出る量には、模型の仮定がそのまま入り込む。式 1 は次を仮定している。

  • ポーラロンはすべて同じ大きさである(大きさに分布がない)
  • ポーラロンどうしは独立である(相互作用しない)
  • 残りの寄与は磁場に比例する一項でまとめられる

三つとも、実際の試料では厳密には成り立たない。それでも当てはめがうまくいくのは、これらの仮定が「大きく外れてはいない」ことを示唆する。だが、\(\mu_{\mathrm{eff}} = 3\times10^4\) という数を「ポーラロンの実際の大きさ」として物理的に断定するには足りない。模型の中の量として扱うのが正しい。

5 一変数から多変数へ

第7章では、価数という一つの変数を動かして磁性を制御できるように見えた。第8章でその見通しが破れ、本章で破れた理由の候補が並んだ。

整理すると、室温強磁性の強さを決めているのは少なくとも次の組み合わせである。

  • Co の価数とスピン状態(第4・5・7章)
  • 酸素空孔の量と分布(第6・7章)
  • 空孔電子の広がりと、その重なり(本章)
  • 格子の大きさと、それが決める Co どうしの距離(本章)

これらは互いに独立ではない。Tl を入れれば同時に全部が動く。だから「Tl を入れると磁性がどうなるか」という問いには、一言では答えられない。

問いが変わった。「価数をどう動かすか」から「ポーラロンをどうつなぐか」へ。前者は化学組成の問題だが、後者は距離と広がりの問題である。

6 小課題

小課題 9-1:ポーラロンの大きさを見積もる

\(\mu_{\mathrm{eff}} = 3.1\times10^4\ \mu_{\mathrm B}\) である。Co²⁺ 1 個が完全に揃ったときの寄与を 3 \(\mu_{\mathrm B}\) とする。また、この試料で Co は陽イオンの 5 %、陽イオンの数密度は \(3.09\times10^{22}\ \mathrm{cm^{-3}}\) とする。

  1. 1 個のポーラロンは何個の Co を巻き込んでいるか。
  2. その Co が入っている体積はいくらか。
  3. 球とみなしたときの半径を nm 単位で求めよ。
  4. 結晶粒の大きさが 20〜50 nm 程度だとすると、この結果は何を意味するか。

解答例を見る

(i) \(3.1\times10^4 / 3 = 1.0\times10^4\) 個。約 1 万個

(ii) Co の数密度は \(0.05 \times 3.09\times10^{22} = 1.54\times10^{21}\ \mathrm{cm^{-3}}\)

\[V = \frac{1.0\times10^4}{1.54\times10^{21}} = 6.5\times10^{-18}\ \mathrm{cm^3}\]

(iii) \(V = \frac{4}{3}\pi r^3\) より

\[r = \left(\frac{3 \times 6.5\times10^{-18}}{4\pi}\right)^{1/3} = 1.2\times10^{-6}\ \mathrm{cm} = \mathbf{12\ nm}\]

(iv) ポーラロンの半径が結晶粒の半径と同程度である。つまり、1 個の粒のなかにポーラロンがせいぜい数個しか入らない。これは二通りに読める。

  • 好意的に読めば、ポーラロンが粒を埋め尽くしているので重なりは自然に成り立つ。
  • 批判的に読めば、\(\mu_{\mathrm{eff}}\) が粒の大きさで頭打ちになっているだけかもしれない。つまり、模型が返した「ポーラロンの大きさ」は、実は「粒の大きさ」を見ている可能性がある。

後者だとすると、\(\mu_{\mathrm{eff}}\) の崩壊は「ポーラロンが縮んだ」ではなく「粒の中で揃わなくなった」を意味することになる。同じ数字が二通りに読める。区別するには、粒径を変えた試料を作って比べる必要がある。

小課題 9-2:不釣り合いな応答

\(x = 0.1\) から \(0.2\) のあいだで、格子定数は 0.15 % しか変わらないのに、\(\mu_{\mathrm{eff}}\) は 2583 分の 1 になる。

  1. もし \(\mu_{\mathrm{eff}}\) が格子定数に比例するなら、0.15 % の変化でどれだけ変わるか。
  2. 実際の変化は、その何倍か。
  3. このような不釣り合いな応答を生む仕組みを、身近な例で説明せよ。

解答例を見る

(i) 比例なら 0.15 % しか変わらない。\(3.1\times10^4\)\(3.095\times10^4\) になる程度である。

(ii) 実際は 2583 分の 1、すなわち 99.96 % 減った。比例の場合の1700 倍以上の応答である。

(iii) これは比例ではなくしきい値の振る舞いである。身近な例をいくつか挙げる。

  • 飛び石:川を渡る飛び石の間隔をわずかに広げると、ある時点で急に渡れなくなる。石の間隔は連続的に変わるが、渡れるか渡れないかは不連続である。
  • 道路の渋滞:車の密度をわずかに増やすと、ある密度で急に流れが止まる。
  • 紙を折る:曲率を少しずつ大きくしても弾性的に戻るが、あるところで折り目がついて元に戻らなくなる。

共通するのは「つながっているか、いないか」という二値の性質が背後にあることである。ポーラロンの場合、重なっているあいだは系全体が一つの磁石として振る舞うが、重なりが切れた瞬間にばらばらの小さな塊に戻る。そのため、原因が連続でも結果は崖のように落ちる。

このことは、材料設計の見通しにも関わる。しきい値の近くでは、わずかな組成のずれが性質を大きく変える。再現性を確保するのが難しい領域である。第1章で見た「成長温度で 1 桁変わる」という事実も、同じ性質の現れかもしれない。

7 この章の位置づけ

第8章で「価数だけでは足りない」と分かった。本章では、足りない部分の中身に 距離と広がりという名前がついた。ただし、名前がついたことと、機構が決まったことは違う。図 2 に並べた四つの経路のうち、どれが支配的かはまだ決まっていない。

ここで研究は次の段階に進む。動かせる変数がこれだけ多いなら、次にどの元素を試せばよいのか。すべての組み合わせを作って測るには、時間が足りない。

そこで登場するのが、機械学習である。

第9章で言えること

真空加熱後の磁化曲線を Langevin 関数+線形項で当てはめると、\(x \le 0.1\)\(\mu_{\mathrm{eff}} = 3.1\times10^4\ \mu_{\mathrm B}\)\(x \ge 0.2\) で 12 以下になる。同じ区間で格子定数は 0.15 % しか変わらない。Weiss 温度は負で、4.2 K まで長距離秩序もスピングラス転移も検出されない。

低 Tl 域では半径 10 nm 規模の束縛磁気ポーラロンが重なり合って強磁性を担い、Tl による格子膨張がその重なりを切ることで強磁性が失われた、と読める。原因が連続なのに結果が不連続なのは、しきい値的な機構を示唆する。

Langevin+線形項という模型そのものの妥当性。\(\mu_{\mathrm{eff}}\) がポーラロンの実際の大きさを表しているのか、結晶粒の大きさを表しているのか。格子膨張・キャリア補償・空孔分布のどれが支配的か。