7 Al 置換 ― 価数を設計する
Co の価数は、外から動かせるのか。
動かせる。しかも、動かした量と磁性の強さのあいだに関係が見えてくる。
1 小さいイオンを入れる
前章までで、磁性には Co の価数と酸素空孔の両方が関わっているらしい、というところまで来た。次にやることは決まっている。片方を意図的に動かして、磁性がどう応じるかを見る。
この章で読む論文
H. Kumagai, Y. Hara, K. Sato,
“Chemical-substitution dependence of magnetization strength in room-temperature ferromagnetism of dilute magnetic oxides: Valence and spin state of slightly doped cobalt in (In,Al)₂O₃”,
J. Magn. Magn. Mater. 564, 170150 (2022).
道具に選ばれたのは Al である。組成は In₁.₉₋ₓAlₓCo₀.₁O₃ で、Co の量は 0.1 に固定し、In の一部を Al で置き換える。\(x\) は 0 から 0.3 まで振る。
なぜ Al なのか。第3章のイオン半径の表を思い出してほしい。Al³⁺ は 0.535 Å で、In³⁺ の 0.800 Å よりずっと小さい。二種類ある席のうち、狭いほうは 8b である。だから Al³⁺ は 8b を優先的に占めると予想できる。
そして、8b は Co³⁺ が入りたがっていた席でもあった(第5章)。Al が 8b を先に取れば、Co は 24d に追いやられる。24d は広い席だから、そこに入る Co は大きいイオン、すなわち Co²⁺ になりやすい。
狙いは間接的である。Al そのものは磁性をもたない。しかし Al が席を奪うことで、Co の価数が動く。
2 Co²⁺ が増える
XPS で確かめると、狙いどおりになっていた。図 1 (a) に、Co³⁺ の割合の Al 量依存を示す。
Al のない試料(\(x = 0\))では Co³⁺ が 0.38、つまり Co の 4 割弱が 3 価である。Al を増やすとこの割合は単調に下がり、\(x = 0.3\) では 0.030、ほとんど消える。この組成の Co は、事実上すべて 2 価である。
Al は磁性元素ではない。それを入れただけで、Co の価数が全面的に切り替わった。外から Co の価数を動かす手段が手に入った。
3 測定が上限を越える
次に磁化率である。ここで、予想外のことが起きる。
Curie–Weiss 則から求めた \(p_{\mathrm{eff}}\) は、Al 量とともに直線的に増えた。\(x = 0\) で約 3.0、\(x = 0.2\) で 4.6 である。直線の傾きは 7.7 で、Al 量を 0.1 増やすごとに \(p_{\mathrm{eff}}\) が約 0.77 増える計算になる。
増えること自体は理解できる。Co³⁺ が LS(\(p_{\mathrm{eff}} = 0\))だとすれば、それが減って Co²⁺(3.87)に置き換わるのだから、平均は上がる。
問題は行き先である。図 1 (b) を見てほしい。Co²⁺ 高スピンの spin-only 値は 3.87 である。試料の Co が全部 Co²⁺ になったとしても、\(p_{\mathrm{eff}}\) は 3.87 で頭打ちになるはずだ。ところが測定値は \(x = 0.2\) ですでに 4.6、上限を 0.73 も越えている。
測定値が spin-only の上限を越えた。これは「Co³⁺ のスピン状態が何か」以前の問題である。spin-only 近似そのものが成り立っていない。
第4章の注意書きを思い出してほしい。\(p_{\mathrm{eff}} = g\sqrt{S(S+1)}\) は、軌道角運動量の寄与が完全に消えているという仮定のうえに立っていた。八面体結晶場ではふつうよく成り立つ近似だが、Co²⁺ ではしばしば破れる。\(t_{2g}\) 軌道に不対電子が残っている配置では、軌道の自由度が凍結しきらず、磁気モーメントに上乗せされる。
論文はこの上乗せを取り込み、Co²⁺ の有効ボーア磁子数として 4.8 を採用した。スピンだけなら 3.87、軌道の寄与を含めて 4.8 である。
数字が理論値を越えたとき
測定値が理論の上限を越えたら、まず疑うのは測定である。試料の量を測り間違えていないか、反磁性の補正を忘れていないか、フィットの温度範囲は妥当か。
それらを潰したうえでなお越えているなら、次に疑うのは理論のほうの仮定である。この場合は spin-only 近似だった。「理論値と合わない」は失敗ではなく、どの仮定が破れたかを教える情報である。
4 スピン状態が絞られる
Co²⁺ の値を 4.8 に修正したうえで、第4章の混合式(式 4)をもう一度使う。Co³⁺ の割合を \(f\) として、
\[ p_{\mathrm{eff}} = (1-f) \times 4.8 + f \times p_{\mathrm{eff}}(\mathrm{Co}^{3+}, S) \tag{1}\]
\(f\) は XPS から Al 量ごとに分かっている。\(S = 0, 1, 2\) を入れて、\(p_{\mathrm{eff}}\) の Al 量依存を計算し、測定と比べる。
結果は明快だった。LS(\(S = 0\))だけが測定を再現した。 IS と HS では、\(x = 0\) での値からしてすでに測定と大きく食い違い、Al 量依存の形も合わない。
第5章で「LS または IS」と留保した点が、ここで LS に絞られた。決め手になったのは、Co の濃度ではなく Al の量という、まったく別の切り口の実験である。
同じ問いに独立な二つの実験を当てて、答えが一つに収束した。これが、主張を一段強くするということである。
5 真空加熱という操作
もう一つの操作が加わる。真空中で加熱することである。
試料を \(1\times10^{-5}\) Torr の真空中で 800 K まで温めながら、100 Oe の磁場で磁化を測る。すると、680 K あたりで磁化が急に増える。加熱後に室温へ戻して磁化曲線を測ると、はっきりした強磁性のヒステリシスが現れる。
何が起きたのか。真空中で加熱すると、結晶から酸素が抜ける。抜けた場所は酸素空孔になり、そこに電子が残る。その電子が Co³⁺ を Co²⁺ に還元する。XPS で確かめると、加熱後のスペクトルは Al 量によらずほぼ完全に Co²⁺ になっていた。
そして磁性である。加熱前後の磁化を比べると、はっきりした傾向が出た。
Co³⁺ から Co²⁺ への変換量が大きい試料ほど、加熱後の室温強磁性が強い。
これは、第6章で得た描像と整合する。酸素を抜けば空孔が増え、局在電子が増える。その電子が Co³⁺ を Co²⁺ に変えると同時に、周囲の Co を巻き込んでポーラロンをつくる。だから変換量は、生じた空孔の量の目安になり、それが強磁性の強さを決める――そう読める。
なお、格子定数は \(a = 10.11 \pm 0.01\) Å で、Al 量にも真空加熱にも依存しなかった。この事実は覚えておいてほしい。第8章で、格子が動く場合と対比することになる。
6 次に何をすればよいか
ここまでで、一つの設計原理らしきものが手に入った。
- 真空加熱すると Co³⁺ が Co²⁺ に変わる
- その変換量が大きいほど、室温強磁性は強い
ならば、強い強磁性をつくるには何をすればよいか。
小課題 7-1:次の一手を自分で予言する
上の二つの事実から、室温強磁性をもっと強くするための操作を考えよ。加熱の条件は変えられないものとする。
ヒント:変換量を大きくするには、変換される前の状態がどうなっていればよいか。そして、そのために第3章のイオン半径の表をどう使えばよいか。
解答例を見る
変換量とは「Co³⁺ が Co²⁺ に変わった量」である。これを大きくするには、加熱前に Co³⁺ をできるだけ多くしておけばよい。
では、加熱前の Co³⁺ を増やすにはどうするか。本章では Al を入れて Co³⁺ を減らした。その仕組みは、小さい Al³⁺ が狭い 8b を占め、Co が広い 24d に追いやられて Co²⁺ になる、というものだった。
したがって、逆をやればよい。In³⁺ より大きいイオンを入れる。大きいイオンは広い 24d を占めるから、Co は狭い 8b に押し込まれる。狭い席に入る Co は小さいイオン、すなわち Co³⁺(低スピンで 0.545 Å)になりやすい。
第3章の表で In³⁺(0.800 Å)より大きい三価イオンは一つだけあった。Tl³⁺(0.885 Å)である。
読者がこの予言に到達したなら、2022 年の論文と同じ場所に立ったことになる。論文はその末尾で、次の候補として Tl を明示している。
Tl を入れれば Co³⁺ が増える。Co³⁺ が多ければ変換量が大きくなる。変換量が大きければ強磁性は強くなる。したがって Tl 置換は室温強磁性を増強するはずである。
三段の推論である。第一段と第二段は、本章で確かめた事実に立っている。第三段だけが、まだ確かめられていない仮説である。
次章で、この予言が実験にかけられる。
7 小課題(もう一つ)
小課題 7-2:どの主張が検証済みか
本章の終わりに立てた三段の推論を、次の三つに分けて分類せよ。
- 観測事実:この論文で測定されたこと
- 物理的解釈:測定を説明するために置いた読み
- 未検証の仮説:まだ確かめられていないこと
解答例を見る
観測事実
- Al 量を増やすと Co³⁺ の割合が 0.38 から 0.030 まで下がる(XPS)
- \(p_{\mathrm{eff}}\) が Al 量とともに 3.0 から 4.6 へ直線的に増える
- 真空加熱後、Co はほぼすべて 2 価になる(XPS)
- Co³⁺→Co²⁺ の変換量が大きい試料ほど、加熱後の磁化が大きい
物理的解釈
- 小さい Al³⁺ が 8b を占め、Co を 24d へ追いやることで Co²⁺ が増える
- \(p_{\mathrm{eff}}\) が 3.87 を越えるのは、Co²⁺ の軌道の寄与が残っているため
- Co³⁺ は低スピン状態にある
- 真空加熱で生じた酸素空孔の電子が Co³⁺ を還元し、同時に強磁性を媒介する
未検証の仮説
- Co³⁺ を増やせば、変換量が増えて強磁性が強くなる
- 大きいイオン(Tl³⁺)を入れれば Co³⁺ が増える
最後の二つは、この論文のデータからは出てこない。Al 系列では Co³⁺ は減る方向にしか動いていないからである。増やす方向は、この論文が観測した範囲の外側にある。外挿された主張は、外挿された範囲で試さなければならない。
第7章で言えること
In₁.₉₋ₓAlₓCo₀.₁O₃ で Al 量を増やすと、Co³⁺ の割合は 0.38 から 0.030 へ下がり、\(p_{\mathrm{eff}}\) は 3.0 から 4.6 へ直線的に増える。格子定数は 10.11 Å で Al 量によらない。真空加熱すると Co³⁺ はほぼ完全に Co²⁺ へ還元され、その変換量が大きい試料ほど室温強磁性が強い。
小さい Al³⁺ が 8b を占めることで Co が 24d に追いやられ、Co²⁺ が増える。\(p_{\mathrm{eff}}\) が spin-only の上限 3.87 を越えることから、Co²⁺ には軌道の寄与が残っている(有効値 4.8)。それを前提にすると、Co³⁺ は低スピン状態である。真空加熱は酸素空孔をつくり、その電子が還元と強磁性の媒介の両方を担う。
Co³⁺ を増やせば強磁性が強くなること。大きい Tl³⁺ を入れれば Co³⁺ が増えること。