1 夢の始まり ― 室温強磁性の報告
透明な半導体に Co を数%入れるだけで、室温の磁石になるのか。
2006 年、In₂O₃ でもそれが起きたという報告が出た。まずはその一枚の曲線を読むことから始める。
1 一枚の磁化曲線から始める
物質が磁石かどうかを調べる最も基本的な測定は、磁場 \(H\) を変えながら磁化 \(M\) を測ることである。得られた \(M\)–\(H\) 曲線の形が、その物質の磁性の種類をほとんど語ってしまう。
この章で読む論文
N. H. Hong, J. Sakai, N. T. Huong, V. Brizé,
“Co-doped In₂O₃ thin films: Room temperature ferromagnets”,
J. Magn. Magn. Mater. 302, 228–231 (2006).
Hong らは、レーザーアブレーションという方法で Co を加えた In₂O₃ の薄膜をつくった。基板は R 面カットのサファイア(Al₂O₃)と MgO、成長温度を変えて複数の試料を用意している。できた膜は結晶性が高く、X 線回折では単相であり、Co は In の位置に置き換わって、膜の厚み方向に一様に分布していた。
その膜の室温での \(M\)–\(H\) 曲線が、図 1 である。
太い実線(青)を見てほしい。磁場をゼロから増やすと磁化が立ち上がり、およそ 1000 Oe で頭打ちになる。この頭打ちの値を飽和磁化 \(M_s\) という。磁場を戻していくと、行きと帰りで曲線がずれる。磁場をゼロに戻しても磁化が残り(残留磁化)、磁化をゼロに戻すには逆向きの磁場(保磁力 \(H_c\))が要る。この「ずれた輪」をヒステリシスと呼ぶ。
ヒステリシスは強磁性の指紋である。磁気モーメントが互いに向きを揃えあっているからこそ、外から磁場を取り去っても揃った状態が残る。
Hong らの膜では、これが室温で観測された。しかも \(T_{\mathrm C}\) は 400 K を十分に超えている。透明な酸化物が室温で磁石になった、という報告である。
2 強磁性であることの証拠は何か
ここで、「強磁性である」と主張するために何が要るのかを整理しておく。以後の章で何度も使う道具になる。
常磁性の物質では、磁気モーメントはばらばらの向きを向いており、磁場をかけたときだけ少し揃う。したがって \(M\)–\(H\) 曲線は原点を通るほぼ直線になり、ヒステリシスも残留磁化もない。磁場を取り去れば磁化はゼロに戻る。
強磁性を主張するには、少なくとも次の三つが必要である。
- ヒステリシスがある(残留磁化と保磁力がゼロでない)
- 磁化が飽和する(磁場をいくら上げても増えなくなる値がある)
- その振る舞いが室温以上まで残る(\(M\)–\(T\) 曲線で \(T_{\mathrm C}\) を確認する)
Hong らの報告は、この三つを満たしている。
三つ揃っても、まだ言えないこと
この三つは「試料が強磁性を示した」ことの証拠である。しかし「その強磁性が In₂O₃ の結晶中にいる Co に由来する」ことの証拠ではない。試料のどこかに別の強磁性物質がわずかに混ざっていても、同じ三つが観測されてしまう。この隙間が次章の主題になる。
3 同じ組成、違う磁性
図 1 には、破線(橙)でもう一つの曲線が描いてある。こちらは成長温度を 600 °C や 650 °C に上げてつくった膜である。形は同じくヒステリシスを描くが、飽和磁化が 0.04 \(\mu_{\mathrm B}\)/Co しかない。550 °C の膜の 0.5 \(\mu_{\mathrm B}\)/Co と比べると、12.5 分の 1 である。
ここが重要である。Co の量は同じ。結晶構造も同じ。X 線回折で見るかぎり、どちらも単相の In₂O₃ である。違うのはつくり方だけ、それも基板に載せる温度を 50 度から 100 度上げただけである。それで磁性の強さが 1 桁以上変わる。
組成が同じでも、作製の履歴が違えば磁性の強さは 1 桁変わる。組成以外の何かが、磁性を決めている。
その「何か」が何なのかを、Hong らの論文は決めていない。決められるだけの情報がまだなかった、というほうが正確である。本書はこれから、その「何か」の正体を少しずつ絞り込んでいく。
4 小課題
小課題 1-1:観測された磁化は大きいのか、小さいのか
酸化物中の Co²⁺ は、ふつう高スピン状態(スピン量子数 \(S = 3/2\))をとる。このモーメントがすべて同じ向きに揃った場合、Co 1 個あたりの磁化は \(g S \mu_{\mathrm B}\) で \(g \approx 2\) だから 3 \(\mu_{\mathrm B}\)/Co になる(この見積もりの中身は第4章で扱う)。
Hong らの 550 °C 成長の膜で観測された 0.5 \(\mu_{\mathrm B}\)/Co は、この値の何割か。そこから、加えた Co について何が言えるか。
解答例を見る
\(0.5 / 3 = 0.17\) なので、約 17 % である。
ここから言えることは一つではなく、少なくとも次の三通りが考えられる。
- 加えた Co のうち、およそ 17 % だけが強磁性に参加しており、残りはばらばらの向きのまま(常磁性)である。
- すべての Co が参加しているが、完全には揃っておらず、平均すると 17 % 相当しか揃っていない。
- Co²⁺ 高スピンという前提が正しくなく、実際にはもっと小さいモーメントの状態にある。
この段階では、どれが正しいか決められない。観測された数値ひとつからは、複数の説明が同時に立つ。どれを選ぶかを決めるには、別の測定が要る。それが第3章以降の仕事である。
小課題 1-2:成長温度で 1 桁変わるという事実から何が言えるか
組成も結晶構造も同じ二つの膜で、飽和磁化が 12.5 倍違う。この事実と両立しうる説明を、思いつくかぎり挙げよ。三つ以上書けるとよい。
解答例を見る
たとえば次のような説明が、いずれもこの事実と両立する。
- 欠陥の量が違う。成長温度が変わると、結晶に取り込まれる酸素の量が変わる。酸素が抜けた場所(酸素空孔)の数が違えば、磁性も変わりうる。
- Co の入り方が違う。同じ量の Co でも、結晶のどの位置に入るか、何価になるかが温度で変わるかもしれない。
- 別の相が微量に析出している。高温では Co が集まって金属コバルトの微粒子をつくり、逆に低温では結晶中に分散する、といったことが起きうる(この向きが逆の可能性もある)。
- 膜と基板の界面や、膜のひずみが違う。
重要なのは、この段階ではどれも排除できないということである。「組成以外の何かが効いている」とまでは言えるが、それが何かはまだ言えない。次章では、このうち三つ目の可能性――別の相が微量に混ざっている――を、数字で真正面から検討する。
5 歴史的位置づけ
Hong らの報告は、序章で見た TiO₂:Co の発見を In₂O₃ へ持ち込んだものである。ITO の母物質が磁石になるかもしれない、という具体的な期待がここで生まれた。透明で、電気を通し、しかも磁石。三つの機能を一つの材料に載せられるなら、応用の裾野は広い。
同時に、この論文は後の論争の出発点にもなった。「結晶性が高く単相であり、Co は In を置換している」という事実は、たしかに好ましい。しかしそれは、観測された強磁性が結晶中の Co に由来することの証明にはなっていない。単相に見えることと、余計なものが本当に無いこととは、同じではないからである。
この隙間を最初に大きく開いてみせたのが、次章で読む 2008 年の論文である。
第1章で言えること
Co を加えた In₂O₃ 薄膜は、室温でヒステリシスを描き、飽和磁化は 550 °C 成長で 0.5 \(\mu_{\mathrm B}\)/Co、600/650 °C 成長で 0.04 \(\mu_{\mathrm B}\)/Co だった。\(T_{\mathrm C}\) は 400 K を超える。
試料は強磁性を示している。飽和磁化が Co²⁺ 高スピンの飽和値の 2 割弱にとどまることから、加えた Co の一部だけが働いているか、揃い方が不完全であると考えられる。
その強磁性が、In₂O₃ の結晶中にいる Co に由来すること。そして成長温度で 1 桁変わる原因が何であるか。