2 再現しない ― 反証と隠れた変数
同じ物質をつくったはずなのに、なぜ一方は磁石で、一方は磁石でないのか。
この章で一度だけ電卓を叩けば、この分野が 20 年ものあいだ論争を続けた理由が身体に入る。
1 強磁性が出ないという報告
前章の報告から 2 年後、正反対の結果が出た。
この章で読む論文
D. Bérardan, E. Guilmeau, D. Pelloquin,
“Intrinsic magnetic properties of In₂O₃ and transition metal-doped-In₂O₃”,
J. Magn. Magn. Mater. 320, 983–989 (2008).
Bérardan らは、In₂O₃ のナノ結晶体とバルク焼結体を、焼結温度と焼結雰囲気を変えながら系統的に調べた。加えた遷移金属も一種類ではない。結果は次のとおりである。
- ドープしていないナノ結晶 In₂O₃ は、焼結温度と雰囲気によらず反磁性である。
- 遷移金属を加えた試料のうち、単相であるものはすべて常磁性だった。磁化率から出る有効モーメントは、弱く相互作用する遷移金属イオンとして理解できる大きさである。たとえば Mn を加えた試料では 1.5 \(\mu_{\mathrm B}\)/式量 で、これは加えた Mn³⁺ の量と整合する。
- 強磁性の痕跡は検出されなかった。ただし固溶限を超えて加えた場合は例外で、そのときは外因的な磁性が現れる。
前章では強磁性が出た。この章では出ない。同じ In₂O₃ に、同じように遷移金属を加えて、である。
2 厳密な追試ではない、ということ
ここで急いではいけない。この二つは「一方が他方を否定した」という関係ではない。試料の作り方が根本的に違うからである。
| Hong ら(2006) | Bérardan ら(2008) | |
|---|---|---|
| 形態 | 薄膜 | ナノ結晶体・バルク焼結体 |
| 作製法 | レーザーアブレーション | 化学合成・焼結 |
| 雰囲気 | 成長時の酸素分圧 | 焼結温度・焼結雰囲気 |
| 結果 | 室温強磁性 | 常磁性 |
薄膜と焼結体では、結晶に取り込まれる酸素の量も、粒の大きさも、界面の量も違う。だから、これは厳密な追試ではない。
だからこそ、この二つを並べる意味がある。
二つの報告は矛盾していない。両方とも本当だとすると、結論は一つしかない。化学組成のほかに、磁性を決めている変数がある。
その変数の候補は、この段階で少なくとも五つ挙がる。作製履歴、酸素欠損の量、固溶限(どこまで均一に溶けるか)、微量の不純物、そして粒径や界面の量である。本書はこの先、これらを一つずつ名前のついた量に変えていく。
なお、Bérardan ら自身が「固溶限を超えたときは外因的な磁性が出る」と書いていることにも注意したい。これは裏返すと、強磁性が観測されたという報告は、固溶限を超えていた可能性を否定できない、という指摘になっている。この指摘を、次節で数字にする。
3 微量の金属コバルトで説明できるか
外因説のうち最も単純なものを取り上げよう。試料のどこかに、金属コバルトの微粒子が少しだけ混ざっているという説である。金属コバルトは室温で強磁性を示し、しかもありふれている。原料にも、るつぼにも、器具にも、混入の経路はいくらでもある。
では、どれだけ混ざっていれば観測された磁化を説明できるのか。これは見積もれる。
金属コバルトは、Co 原子 1 個あたり約 1.72 \(\mu_{\mathrm B}\) の磁気モーメントをもつ。まず、これを 1 グラムあたりの磁化に直しておく。Co の原子量を 58.93、アボガドロ定数を \(N_A\)、ボーア磁子を \(\mu_{\mathrm B} = 9.274\times10^{-21}\) emu とすると、
\[ \sigma_{\mathrm{Co}} = \frac{1.72\,\mu_{\mathrm B} N_A}{58.93} = 163\ \mathrm{emu/g} \tag{1}\]
となる。金属コバルト 1 グラムがもつ磁化は 163 emu である。これを物差しにする。
観測された磁化がすべて金属コバルトによるものだと仮定すれば、必要な量はすぐ出る。1 個あたり 1.72 \(\mu_{\mathrm B}\) を出せる原子が、平均して 1 個あたり \(M_s\) しか出していないように見えるのだから、
\[ \frac{(\text{金属になっている Co の数})}{(\text{加えた Co の数})} = \frac{M_s}{1.72\,\mu_{\mathrm B}} \tag{2}\]
である。図 1 (a) がこの関係を描いたものである。
薄膜の場合。 Hong らの 550 °C 成長の膜は 0.5 \(\mu_{\mathrm B}\)/Co だった。式 2 に入れると \(0.5/1.72 = 0.29\)、つまり加えた Co の 29 % が金属でなければならない。3 個に 1 個近い。これはかなり大きな割合である。
粉末の場合。 ここで、本書が第8章で扱う著者らの粉末試料の値を先取りして使う。組成は In₁.₉Co₀.₁O₃、室温での強磁性磁化は 0.064 \(\mu_{\mathrm B}\)/Co である。同じ計算をすると \(0.064/1.72 = 0.037\)、加えた Co の 3.7 % でよい。
さらに、これが試料全体の何 wt% にあたるかを出す。In₁.₉Co₀.₁O₃ の式量は
\[ 1.9 \times 114.8 + 0.1 \times 58.93 + 3 \times 16.00 = 272.0 \tag{3}\]
だから、試料に含まれる Co の重量分率は \(0.1 \times 58.93 / 272.0 = 2.17\ \%\) である。そのうち 3.7 % が金属であればよいのだから、
\[ 0.0217 \times 0.037 = 8.1\times10^{-4} = 0.081\ \mathrm{wt\%} \tag{4}\]
つまり 806 ppm である。試料 1 グラムのうち、0.8 ミリグラム。
4 X 線回折が見ていないもの
ここで前章の一文を思い出したい。「X 線回折では単相であり」――この記述が、この分野のほとんどの論文に書かれている。
粉末 X 線回折で第二相のピークが見えるようになるのは、その相がおおむね 1 wt% 程度含まれてからである。測定条件がよくても 0.5 wt% あたりが限界で、目的の相と重なる位置にピークが出る場合はさらに厳しい。
先ほど出した 0.081 wt% は、この限界の 12 分の 1 である。仮に限界を 0.5 wt% と甘く見積もっても、まだ 6 分の 1 に届かない。
観測された室温強磁性を金属コバルトだけで説明するのに必要な量は、粉末 X 線回折では原理的に見えない。したがって「X 線回折で単相だった」は、「金属コバルトのクラスターが無い」ことを意味しない。
逆も言えないことに注意
いま示したのは、「XRD が単相を示した」という証拠がクラスターの有無について沈黙しているということである。クラスターがあることを示したわけではない。証拠が足りないことと、主張が偽であることは別である。
この区別は本書を通じて何度も出てくる。証拠が沈黙しているときにできることは二つしかない。沈黙していると正直に書くか、別の測定を持ってくるかである。第6章で読む論文は、後者を実行した例である。
薄膜と粉末で状況が非対称であることにも触れておきたい。薄膜で必要な 29 % という割合は、粉末に換算すれば十分に大きく、通常の回折測定で捉えられる規模である。したがって薄膜については、クラスターだけですべてを説明する説はかなり苦しい。一方、粉末のように磁化が小さい試料ほど、外因説を否定するのが難しくなる。磁化が弱いほど、その起源を突き止めるのは難しい。
コラム:微弱な磁化を測るときに疑うもの
本節の見積もりが示すのは、弱い強磁性シグナルの解釈がいかに危ういかということである。実験室で微小な磁化を扱うとき、一般に次のものを疑う習慣が要る。
- 試料ホルダーと基板:ホルダー自体の信号が試料の信号と同程度になることがある。空のホルダーだけを測って差し引く。
- 器具からの混入:ピンセット、乳鉢、るつぼ、スパチュラ。ステンレスの粉が数百 ppm 入るだけで、本章の計算どおりの磁化が出る。
- 原料の純度:99.9 % の試薬には 1000 ppm の不純物が許されている。
- 測定の再現性:同じ試料を測り直す、別ロットの試料を測る、質量を変えて信号が比例するかを見る。
これらは論文の主張以前の、実験ノートの問題である。だが本章の見積もりが示すとおり、この分野ではその差が結論を左右する。
5 Co はつながれない
Bérardan らはもう一つ、重要な指摘をしている。そもそも数%の磁性イオンでは、長距離の磁気秩序をつくれないはずだという指摘である。
磁性イオンどうしが直接となり合って相互作用し、その連なりが結晶全体を貫くためには、磁性イオンがある割合以上を占めていなければならない。この「つながり始める割合」をパーコレーションしきい値 \(x_p\) という。3 次元の結晶では、\(x_p\) はおおむね 20〜25 % を超える。
ところが、この分野で加えられている遷移金属は、ふつう 10 % 未満である。しきい値の半分にも届かない。したがって、
Co どうしが直接手をつなぐ経路だけでは、室温の長距離強磁性は成り立たない。強磁性が本物なら、Co ではない何かが Co をつないでいるはずである。
これで、この章の終わりに残る選択肢は二つに絞られる。
- 観測された強磁性は外因である(金属クラスター、不純物、測定の誤り)。
- 強磁性は本物であり、Co イオンどうしを結びつける別の担い手がいる。
どちらとも決められないまま、この分野は 2000 年代の後半を過ごした。決め手を持ち込んだのが第6章の論文である。そして、その「別の担い手」の候補として名前が挙がるのが、酸素が抜けた場所に残った電子である。
6 小課題
小課題 2-1:クラスター説を数字で検討する
組成 In₁.₉Co₀.₁O₃ の粉末試料で、室温の強磁性磁化が 0.064 \(\mu_{\mathrm B}\)/Co と観測されたとする。金属コバルトの飽和モーメントを 1.72 \(\mu_{\mathrm B}\)/atom、原子量を In 114.8、Co 58.93、O 16.00 として、次を求めよ。
- この磁化をすべて金属コバルトで説明するには、加えた Co の何 % が金属である必要があるか。
- それは試料全体の何 wt% か。ppm でも書け。
- 粉末 X 線回折の検出限界を 1 wt% として、それは検出できるか。結論を一文で書け。
解答例を見る
(i) 金属コバルト 1 原子は 1.72 \(\mu_{\mathrm B}\) を出す。観測は Co 1 個あたり平均 0.064 \(\mu_{\mathrm B}\) なので、
\[0.064 / 1.72 = 0.0372 \quad\to\quad \textbf{3.7 \%}\]
(ii) 式量は \(1.9\times114.8 + 0.1\times58.93 + 3\times16.00 = 272.0\)。試料中の Co の重量分率は
\[0.1 \times 58.93 / 272.0 = 0.0217 \quad\to\quad 2.17\ \mathrm{wt\%}\]
そのうち 3.7 % が金属なので
\[0.0217 \times 0.0372 = 8.1\times10^{-4} \quad\to\quad \textbf{0.081 wt\% = 806 ppm}\]
(iii) 0.081 wt% は検出限界 1 wt% の 12 分の 1 であり、検出できない。したがって「X 線回折で単相だった」という記述は、金属コバルトのクラスターが無いことの証拠にはならない。
小課題 2-2:つなぐ役は誰か
Co が 5 % しか入っていない結晶で、室温まで残る長距離の強磁性秩序が本当に成り立っているとする。パーコレーションしきい値が 20 % を超えることを踏まえ、それでも秩序が成り立つためにはどんな条件が要るか、自分の言葉で説明せよ。「Co 以外の何か」がもつべき性質を二つ以上挙げること。
解答例を見る
Co どうしが直接届かないのだから、両者のあいだを橋渡しする担い手が要る。その担い手がもつべき性質は、少なくとも次の二つである。
- 広がりが大きいこと。Co の間隔(5 % なら数ナノメートルの程度)を越えて届く必要がある。局在しすぎていては橋にならない。
- 数がある程度多いこと、あるいは一つが多数の Co を巻き込めること。担い手が少なすぎれば、橋がとぎれとぎれになって全体はつながらない。
さらに、その担い手自身がスピンをもつか、Co のスピンの向きを感じ取れる必要がある。
こうした条件を満たす候補として、酸素が抜けた場所に捕まった電子が挙がる。この電子は空孔のまわりに広がった状態をつくり、まわりの Co のスピンを揃えうる。第6章と第9章で、この考え方を実際のデータに当てて検討する。
7 この章の位置づけ
2006 年の報告と 2008 年の報告は、どちらも正しい観測である。両立させようとすると、組成では決まらない変数が存在することになる。そしてその変数を突き止めない限り、「室温強磁性は本物か」という問いには答えられない。
本章の見積もりは、この分野の難しさを一つの数字に凝縮している。806 ppm。この量の金属コバルトが混じっていれば、観測された磁化はすべて説明できてしまう。そしてその量は、標準的な構造解析では見えない。
だからこの分野の研究は、「強磁性が出た」で終わることができない。どこに、何価で、どのスピン状態の Co がいるのかを独立に決め、その上で磁性を語る必要がある。次の三つの章は、そのための道具を用意する作業に充てられる。
第2章で言えること
単相の遷移金属ドープ In₂O₃ のバルク試料では、焼結温度と雰囲気を変えても強磁性は検出されず、すべて常磁性だった。一方、観測されている室温強磁性の大きさは、加えた Co の 3.7 %(試料の 0.081 wt%)が金属コバルトであれば説明できる量である。
薄膜とバルクの違いは、組成ではなく作製履歴に由来する変数(酸素欠損、固溶限、粒径、界面)にあると考えられる。また、Co の量はパーコレーションしきい値を大きく下回るため、Co どうしの直接の相互作用だけでは長距離秩序は成り立たない。
観測された強磁性が外因(クラスター・不純物)ではないこと。そして、もし本物なら、Co をつないでいる担い手が何であるか。