6 磁性をつくるのは Co か、欠陥電子か
磁石になっているのは Co なのか、それとも Co が呼び込んだ電子なのか。
第2章で残した「Co はつながれない」という宿題に、初めて答えの候補が与えられる。
1 磁化を二つに分ける
第2章の終わりに、選択肢を二つに絞った。観測された強磁性は外因(クラスターや不純物)か、それとも本物で、Co をつなぐ別の担い手がいるか。
この問いに、複数の測定を組み合わせて挑んだ論文がある。
この章で読む論文
A. M. H. R. Hakimi, M. G. Blamire, S. M. Heald, M. S. Alshammari, M. S. Alqahtani, D. S. Score, H. J. Blythe, A. M. Fox, G. A. Gehring,
“Donor-band ferromagnetism in cobalt-doped indium oxide”,
Phys. Rev. B 84, 085201 (2011).
彼らは \((\mathrm{In}_{1-x}\mathrm{Co}_x)_2\mathrm{O}_3\) の薄膜を Co 濃度 1.6 % から 8.1 % までつくり、X 線回折・X 線吸収微細構造・磁化・電気伝導・光吸収・磁気円二色性を同じ試料に当てた。
第一の仕事は、測った磁化を分解することだった。磁化曲線には二つの成分が重なっている。
- 磁場に比例して増える常磁性成分 ― ばらばらの向きの Co イオンによる
- 低磁場で飽和し、ヒステリシスを描く強磁性成分 ― 何かが揃っている
この二つを分けなければ、議論が始まらない。第1章で見たヒステリシスは、この強磁性成分のほうである。
2 自由キャリアでは足りない
強磁性成分の担い手として、まず疑うべきは伝導電子である。In₂O₃ は透明でありながら電気を通す。動き回る電子のスピンが偏れば、磁化が出る。
Hakimi らはこれを数字で否定した。
伝導電子の密度は Hall 測定から分かる。\(n \sim 10^{19}\ \mathrm{cm^{-3}}\) である。仮にこの電子が全部スピン偏極したとしても、生じる磁化は \(n\mu_{\mathrm B} \sim 0.1\ \mathrm{emu/cm^3}\) にしかならない。
一方、実際に観測された飽和磁化は、1.6 % Co の試料で \(3.80\ \mathrm{emu/cm^3}\) である。
観測された磁化は、自由キャリアが全部偏極したとしても届かない大きさである。1 桁以上足りない。磁性の担い手は、動き回る電子ではない。
同じ論文は、酸素空孔がつくる準位が伝導帯の下 0.9 eV ほどと深いことにも触れている。深い準位に捕まった電子は、室温でも自由には動けない。つまり酸素空孔は、伝導キャリアの供給源としては効いていない。では実際に測れる伝導キャリアはどこから来ているのか。Hakimi らは、理論計算が示唆する候補として In の格子間位置(単独、あるいは酸素空孔との複合欠陥)を挙げている。いずれにせよ、伝導キャリアの出どころと磁性の担い手は別だということになる。
ここから、担い手の像が絞られてくる。動き回らない電子、すなわち欠陥に局在した電子である。
3 クラスター説はどこまで否定できるか
Hakimi らの論文には、第2章で立てた金属コバルトクラスター説を検討する材料もある。それは Co 濃度依存の向きである。
図 1 は、同じ表の数字を二通りに描いたものである。
は体積あたりの飽和磁化である。Co を 1.6 % から 8.1 % に増やすと、\(3.80\) から \(8.75\ \mathrm{emu/cm^3}\) へ、2.3 倍に増えている。素直な結果に見える。
は同じ数字を Co 1 個あたりに直したものである。Co の数密度で割るだけだが、結論が変わる。1.6 % の試料では 0.83 \(\mu_{\mathrm B}\)/Co、8.1 % の試料では 0.38 \(\mu_{\mathrm B}\)/Co。Co を増やすと、1 個あたりの寄与は半分以下に減る。
なぜこれがクラスター説に不利なのか。もし磁性が金属コバルトの微粒子から来ているなら、Co を増やせば微粒子は増えるか大きくなる。析出しやすくなるのだから、1 個あたりの寄与はむしろ増える方向のはずである。観測はその逆を向いている。
Co 1 個あたりの磁気モーメントが、Co を増やすと減る。これはクラスター起源の予想と逆向きである。第2章で立てた最も単純な外因説は、この一点で分が悪くなる。
「分が悪くなる」であって「消える」ではない
この議論はクラスター説を完全に排除するものではない。中間の濃度では 1 個あたりの値がきれいに単調ではなく、上下している。また、クラスターの大きさや形が濃度とともに変わるなら、単調でない依存も作れてしまう。
言えるのは「最も単純なクラスター説では説明しにくい」までである。第2章の見積もり(0.081 wt% で足りる)は依然として生きており、外因の可能性がゼロになったわけではない。証拠は主張を弱めたり強めたりするが、多くの場合ゼロか一かにはしない。
4 酸素空孔は電子の器である
では、局在した電子とは具体的に何か。
結晶から酸素原子が 1 個抜けると、そこには本来 O²⁻ が受け取るはずだった電子が取り残される。この酸素空孔 \(V_O\) は、単なる「抜け」ではない。取り残された電子を収容する新しい電子状態をつくる。
この電子は空孔のまわりに広がっている。広がりが十分に大きければ、その範囲にいる複数の Co イオンのスピンと同時に相互作用できる。1 個の局在電子が、周囲の多数の Co を巻き込んで一つの大きな磁気の塊をつくる――これが束縛磁気ポーラロン(BMP)と呼ばれる描像である。
この描像なら、第2章のパーコレーションの困難を回避できる。Co どうしが直接届かなくてよい。届く必要があるのは、Co ではなく電子の広がりのほうである。
Hakimi らは、酸素空孔に関係する局在ドナー状態の電子が磁性を担うという解釈を提案した。光吸収と磁気円二色性が磁化と同じ Co 濃度・温度依存を示したことも、この解釈を補強している。
磁性の主役が「Co イオンそのもの」から「Co と欠陥電子の組」へ移った。Co はモーメントを提供し、欠陥電子がそれをつなぐ。
これは最終回答ではない
ドナーバンド、束縛磁気ポーラロン、F 中心交換――呼び名はいくつもあるが、いずれも現時点で結果を説明しうる模型であって、確定した機構ではない。この分野では、これらを既定事実のように書く文章をよく見かける。本書はそうしない。
模型が本物かどうかは、それが外れる予測をするかどうかで試される。第7章と第8章は、まさにその試験になっている。
5 小課題
小課題 6-1:体積あたりから 1 個あたりへ
bixbyite 型 In₂O₃ の単位胞(一辺 \(a = 10.12\) Å)には陽イオンが 32 個入っている。Co 濃度 1.6 %(陽イオンのうち 1.6 % が Co)の薄膜で、飽和磁化が \(3.80\ \mathrm{emu/cm^3}\) と測定された。\(\mu_{\mathrm B} = 9.274\times10^{-21}\) emu とする。
- 陽イオンの数密度を求めよ。
- Co の数密度を求めよ。
- Co 1 個あたりの磁気モーメントを \(\mu_{\mathrm B}\) 単位で求め、論文の値 0.83 と比べよ。
解答例を見る
(i) \(a = 10.12 \times 10^{-8}\) cm なので \(a^3 = 1.036\times10^{-21}\ \mathrm{cm^3}\)。
\[n_{\text{陽イオン}} = \frac{32}{1.036\times10^{-21}} = 3.09\times10^{22}\ \mathrm{cm^{-3}}\]
(ii) \(n_{\mathrm{Co}} = 0.016 \times 3.09\times10^{22} = 4.94\times10^{20}\ \mathrm{cm^{-3}}\)
(iii) 1 個あたりの磁化は
\[\frac{3.80}{4.94\times10^{20} \times 9.274\times10^{-21}} = \frac{3.80}{4.58} = 0.83\ \mu_{\mathrm B}/\mathrm{Co}\]
論文の値と一致する。 8.1 % の試料についても同じ計算をすると 0.38 \(\mu_{\mathrm B}\)/Co となり、こちらも論文どおりである。
この一致は単なる確認以上の意味をもつ。論文が本文で述べている二つの数値が、表の生データと単位胞の幾何から再現できることを示している。読者が自分で追える計算で著者の主張を検算できるなら、その主張はそれだけ信用してよい。
小課題 6-2:担い手に要る条件
第2章で、Co の濃度はパーコレーションしきい値(20〜25 %)に遠く届かないことを見た。本章の束縛磁気ポーラロンの描像は、この困難をどう回避しているか。「何がつながればよいのか」に注目して説明せよ。
解答例を見る
パーコレーションの議論は「Co どうしが直接となり合ってつながる」ことを前提にしていた。Co が 5 % では、Co の間隔は数ナノメートルあり、d 電子の直接の重なりでは届かない。
束縛磁気ポーラロンの描像では、つながるべき主体が Co ではない。酸素空孔に捕まった電子の広がりである。1 個の電子の波動関数が数ナノメートルに広がっていれば、その中にいる何十、何百という Co を同時に巻き込める。そして、隣り合うポーラロンどうしが重なれば、系全体に道ができる。
したがって条件は「Co の濃度がしきい値を超えること」ではなく、「ポーラロンの半径と数の積がしきい値を超えること」に置き換わる。Co の濃度が低くても、ポーラロンが十分大きければ成り立つ。
この置き換えが正しいなら、ポーラロンの大きさを縮める操作をすれば強磁性は壊れるはずである。第9章で、まさにそれが起きているデータを見る。
6 この章の位置づけ
第2章で「Co をつなぐ担い手がいるはずだ」と言った。本章は、その担い手の候補として酸素空孔に局在した電子を得た。ここまでが、この分野の共通の土台である。
土台ができたら、次は動かしてみる番である。もしこの描像が正しいなら、Co の価数や酸素空孔の量を操作すれば、強磁性の強さを制御できるはずである。
次章から、著者らの研究室がその操作に取りかかる。
第6章で言えること
Co ドープ In₂O₃ 薄膜で、観測された飽和磁化(1.6 % Co で 3.80 emu/cm³)は、自由キャリアが全部偏極したときの上限(約 0.1 emu/cm³)より 1 桁以上大きい。また Co 1 個あたりのモーメントは、Co 濃度 1.6 % の 0.83 \(\mu_{\mathrm B}\) から 8.1 % の 0.38 \(\mu_{\mathrm B}\) へ減る。
磁性の担い手は動き回る自由キャリアではなく、酸素空孔に関係する局在した電子だと考えられる。この電子が周囲の複数の Co を巻き込んで束縛磁気ポーラロンをつくれば、Co の濃度がパーコレーションしきい値を下回っていても長距離の強磁性が成り立ちうる。Co 1 個あたりのモーメントが濃度とともに減ることは、単純な金属クラスター起源の予想と逆向きである。
ドナーバンドや束縛磁気ポーラロンの描像が正しいこと。外因(クラスター・不純物)の寄与が無視できること。