flowchart TB
NM["NM (nspin=1)<br>E = -753.411 Ry/cell"]
FM["FM (nspin=2)<br>E = -753.448 Ry/cell"]
NM -- "同条件でそろえて引く" --> D["ΔE_FM-NM ≈ -0.25 eV/atom<br>(FM が安定)"]
FM --> D
X["物差しがずれると<br>差に条件の違いが混ざる"] -. "禁物" .-> D
10 FM と NM は同じ物差しで比べる
強磁性の状態と非磁性の状態、どちらが安定か。
答えを出せるのは二つの全エネルギーの差だけである。絶対値は、ひとりでは何も語らない。
この章のゴール:強磁性解(FM)と非磁性解(NM)の安定性は、同条件でそろえた全エネルギー差 \(\Delta E_{\text{FM-NM}}\) だけが語れることを学ぶ。全エネルギーの絶対値は単独では意味をもたない。二つの独立な条件で \(\Delta E<0\) が符号も大きさもそろうのを見て、「コバルトは計算機の中で強磁性解を好む」という手応えをつかむ。そのうえで、「磁石の強さを再現した」と言ってよいかは終章へ預ける。
第8章で、出力の磁気モーメント \(M\) が初期値に依らない確かな量であることを確かめた(Phase1 の \(8\times8\times6\) で \(M\approx1.655\ \mu_\text{B}/\text{atom}\))。第1章で smoke 束から引いた \(1.66\) とのわずかな違いは、第6章で見た k 点による揺れの幅であって、どちらも約 \(1.6\)–\(1.66\ \mu_\text{B}/\text{atom}\) に収まる。では、その \(M\) を伴った強磁性(FM)の状態は、磁気モーメントをもたない非磁性(NM)の状態より本当に安定なのか。本章でその比べ方に決着をつける。要点を先に言えば、比べてよいのは二つの状態の全エネルギーの差であって、それぞれの絶対値ではない。土俵をそろえて引き算する、という一手を身につける。そして引き算の結果は、本書がここまで積み上げてきた手応えのひとつの到達点になる。
1 全エネルギーは差でだけ意味をもつ
第一原理計算が返す全エネルギーは、\(-753\) Ry というような大きな負の数である。この値そのものを「コバルトのエネルギーはこれだ」と読むことはできない。理由は二つある。ひとつは、エネルギーの原点をどこに取るかが計算の流儀で決まっていて、絶対的な基準ではないこと。もうひとつは、擬ポテンシャルがどの電子を芯に押し込めて数えないかで、足し合わせる中身が変わること。第8章のコラムで見た、同じコバルトが PAW で \(-753.449\) Ry、USPP で \(-596.983\) Ry になるという食い違いが、まさにこの事情を物語っている。
ではどう使うのか。意味をもつのは、同じ原点・同じ擬ポテンシャル・同じ計算条件でそろえた二つの状態の差である。差をとれば、両者に共通する土台の部分――読めない大きな負の数の大半――が打ち消し合い、状態の違いだけが残る。長さを測る物差しの目盛りの「ゼロがどこか」は読み取りに要らず、二点の差だけが長さになるのと同じである。FM と NM のどちらが安定かも、この差の符号で決まる。
2 同条件で FM と NM を引く
実データで引いてみる。本書の smoke 束では、K_POINTS automatic 12 12 8、degauss=0.02 Ry、ecutwfc=80 Ry という同一の条件のもとで、nspin=2(FM)と nspin=1(NM)の二通りを走らせた。
| 状態 | 全エネルギー(Ry/cell) |
|---|---|
FM(nspin=2) |
\(-753.447\) |
NM(nspin=1) |
\(-753.412\) |
差をとると \(\Delta E = -753.447-(-753.412) = -0.035\) Ry/cell。これを物性の言葉である eV に直し、2 原子セルなので原子あたりに割ると、約 \(-0.24\) eV/atom となる(換算は小課題で手を動かす)。符号が負だから、FM のほうが NM より低い。コバルトは、計算機の中で磁気モーメントをもつ状態を好む。
一度だけの結果なら、条件の選び方に引きずられた偶然かもしれない。そこで条件を上げた beginner 束 Phase4 でも同じ引き算をする。こちらは K_POINTS automatic 16 16 10 と k 点を増やし、degauss=0.01 Ry とスメアリングを狭めた、より丁寧な条件である。
| 状態 | 全エネルギー(Ry/cell) |
|---|---|
FM(nspin=2) |
\(-753.448\) |
NM(nspin=1) |
\(-753.411\) |
差は \(-0.0372\) Ry/cell、原子あたり約 \(-0.253\) eV/atom。smoke 束の \(-0.24\) eV/atom と、符号はもちろん大きさまでそろう。二つの独立な条件で同じ答えが出る、という整合は、\(\Delta E<0\) が条件の偶然ではないことの裏づけになる。
degauss=0.01)。
図 1 は、Phase4 の二つの状態を原子あたりのエネルギー準位として並べたものである。上の横棒が NM、下の横棒が FM で、その間隔が \(\Delta E_{\text{FM-NM}}\approx0.25\) eV/atom にあたる。二本の棒の高さの差だけが意味をもち、棒そのものが床から何 eV の位置にあるか(絶対値)は読みに使わない――それを一枚で示すために、縦軸は差が見える幅まで拡大してある。
ここで欠かせない約束がある。FM と NM は、必ず同じ物差しで引かなければならない。すなわち ecutwfc・ecutrho・k 点・degauss を二状態でそろえる。片方を \(12\times12\times8\)、もう片方を \(16\times16\times10\) で計算して引けば、差の中に「FM と NM の違い」だけでなく「k 点の違い」も混ざり込み、\(\Delta E\) は信用できなくなる。同条件でそろえてはじめて、差は状態の違いだけを語る。
3 ここで「磁性が、出た」
ここまでをいったん受け止めたい。第8章で、磁気モーメント \(M\) が初期値に依らない確かな量として出た。本章で \(\Delta E_{\text{FM-NM}}<0\) が、二つの独立な条件で符号も大きさもそろって出た。磁石らしさの大きさが手の見積もりとオーダーで合い、しかも強磁性の状態のほうがエネルギー的に低い。これだけそろえば、「計算機の中のコバルトは、ちゃんと磁石になりたがった」と言ってよい。第1章で立てた四つの問いのうち、「本当に磁石になりたがるのか」に、はっきり前向きの答えが返ってきた。この手応えは、ここで確かに握ってよい。
握ってよいものと、まだ握ってはいけないものがある。本章から確実に言えるのは、コバルトは強磁性の解を好むことまでである。では、\(M=1.66\) と \(\Delta E<0\) がそろったことをもって、「コバルト磁石の強さを再現した」と言ってよいか。この一歩は、踏み出す前に立ち止まる値打ちがある。\(M\) は計算が置いた枠の中でのスピンの偏りであり、私たちが磁石の強さと呼ぶ飽和磁化と並べるには単位の翻訳が要る。\(\Delta E<0\) が深いことと、その磁石が室温まで保たれること(キュリー点)も、関係はあっても同じではない。この問い――「\(M=1.66\) と \(\Delta E<0\) で“磁石を再現した”と言ってよいか」――は、第12章へそのまま預ける。本章では「強磁性解を好む」を確かなものとして握り、それ以上の翻訳は終章で扱う、と線を引いておく。
小課題 9.1
beginner 束 Phase4 では、FM の全エネルギーが \(-753.448\) Ry/cell、NM が \(-753.411\) Ry/cell だった(より正確には差が \(-0.03722\) Ry/cell)。セルには Co 原子が 2 個ある。
この差を eV/atom に換算せよ(\(1\ \text{Ry}=13.606\ \text{eV}\)、2 原子セル)。
FM と NM のどちらが安定か、符号から答えよ。また、smoke 束の \(-0.24\) eV/atom と比べて、二つの条件の結果は整合しているか。
解答例
Ry/cell での差は \(\Delta E = -0.03722\) Ry/cell。eV に直すと \[ -0.03722\times13.606 \approx -0.506\ \text{eV/cell}. \] 2 原子セルなので原子あたりに割って \[ \frac{-0.506}{2} \approx -0.253\ \text{eV/atom}. \]
符号が負だから、同条件で FM のほうが NM より低く、FM が安定である。smoke 束(k 点 \(12\times12\times8\),
degauss=0.02)の \(-0.24\) eV/atom と、条件を上げた Phase4(k 点 \(16\times16\times10\),degauss=0.01)の \(-0.253\) eV/atom は、符号も大きさもよくそろう。二つの独立な条件で同じ答えが出たことが、\(\Delta E<0\) が条件の偶然ではないことの裏づけになる。
よくある誤解
「FM の全エネルギーが \(-753.4\) Ry もある。これだけ深ければ磁性は確実だ」と、絶対値の大きさを根拠にしたくなる。しかし \(-753.4\) Ry という値は原点と擬ポテンシャルの取り方しだいの数字で、それ単独では FM の安定性を語らない。同じコバルトが USPP では \(-596.983\) Ry になる(第8章コラム)ことを思い出せば、絶対値に意味を負わせる危うさが見える。語れるのは、NM と同じ物差しでそろえて引いた \(\Delta E_{\text{FM-NM}}\) だけである。比べる二状態の ecutwfc・k 点・degauss がずれていれば、その差も信用できない。
4 この章のまとめ
- 全エネルギーの絶対値は原点と擬ポテンシャルに依存し、単独では物理を語らない。意味をもつのは同条件でそろえた差である。
- FM と NM を同じ物差し(同じ
ecutwfc・ecutrho・k 点・degauss)で引くと、smoke 束で約 \(-0.24\) eV/atom、Phase4 で約 \(-0.253\) eV/atom 分 FM が安定で、二つの独立な条件で符号も大きさもそろう。 - \(\Delta E_{\text{FM-NM}}<0\) と \(M\approx1.66\ \mu_\text{B}/\text{atom}\) がそろい、コバルトは計算機の中で強磁性解を好むことが確かめられた。第1章の四つの問いのひとつに前向きの答えが返った。
- ただし「磁石の強さを再現した」と言ってよいかは、\(M\) と飽和磁化の単位の翻訳、\(\Delta E\) とキュリー点の隔たりという宿題を残しており、第12章へ預ける。
- 次章では、この強磁性解が金属であることを、フェルミ準位の状態密度(DOS)で検算する。磁石になりたがるコバルトが、同時に金属でもあることを確かめにいく。