8  degauss は便利な近似であって物性ではない

金属を安定に解くために、フェルミ面の段差をわずかにぼかす道具がある。
そのぼかし幅を変えると、磁気モーメントまで動く。では、その動きから物性を読み取ってよいのか。

この章のゴール:スメアリング(occupations='smearing', smearing='mv', degauss)が金属計算を安定化する道具であり、幅 degauss を変えると \(M\) も全エネルギーも動きうることを、Phase3 の実データで知る。そのうえで、観測できた個別結果を物理法則のように一般化しない構えを身につける。言えるのは「この条件で 0.05 Ry が外れ値、0.005–0.02 Ry が安定」という範囲までである。

前章で、k 点の刻みが磁化 \(M\) を揺らすのを見た。揺らす源は、金属のフェルミ面という鋭い段差だった。ところが、その段差をなだめるために計算側で入れているもう一つの道具があり、これもまた \(M\) を動かす。スメアリング幅 degauss である。この章では、degauss がなぜ要るのか、変えると何が動くのかを Phase3 の実データで確かめ、そこから「言えること」をどこまでに留めるべきかに決着をつける。持ち帰る構えを先に言っておく。観測できたのは「ある幅は外れ値、ある範囲は安定」という事実までで、それを「幅を大きくすれば必ずこうなる」という法則へ格上げはしない。

1 なぜ金属でスメアリングが要るか

前章で、金属はフェルミ面で占有が 1 から 0 へ鋭く切れると述べた。この鋭さが、有限の k 点での積分を不安定にする。

絶対零度の占有を、\(E_\text{F}\) を境にした完全な階段として扱うとしよう。階段の段差のすぐ近くに k 点が落ちるか、少し外れて落ちるかで、その点が満員(1)と数えられるか空席(0)と数えられるかが変わる。k 点をわずかに動かしただけで和が跳ねる。だから、k 点をよほど密に取らないかぎり、全エネルギーが SCF のたびに、また条件をいじるたびに、大きくぶれてしまう。

そこで、段差そのものをわずかになます。占有を \(E_\text{F}\) で垂直に落とす代わりに、\(E_\text{F}\) の前後で 1 からなめらかに 0 へ下りるゆるい坂に置き換える。なめらかな坂なら、k 点が段差のどちら側に落ちるかに和が神経質に反応せず、有限の k 点でも積分が安定する。この置き換えがスメアリングで、occupations='smearing' で有効にする。

flowchart TB
    A["占有を E_F で<br>垂直な階段にする"] --> B["k 点が段差の<br>どちら側かで和が跳ねる"]
    B --> C["SCF が不安定・<br>条件で値が大きくぶれる"]
    A --> D["degauss で段差を<br>なめらかな坂にならす"]
    D --> E["k 点が安定して<br>積分できる"]
    E --> F["SCF が落ち着く"]
図 1: スメアリングのねらい。占有を E_F での垂直な階段のまま扱うと、有限の k 点では段差の拾い方で和が跳ねる。段差をなめらかな坂にならすと、k 点が安定して積分でき、計算が落ち着く。degauss はその坂の幅である。

ここで一つ、混同を避けておきたい。占有をなめらかにする、と聞くと「温度を上げて電子をぼかしている」と思いたくなる。だが、ここで入れているのは計算を安定に回すための数値的な細工であって、温度という物理そのものではない。幅 degauss を温度の代わりと見て読み解くのは行き過ぎで、これはあくまでフェルミ面の段差を計算しやすくするための便宜である。

2 Methfessel–Paxton と幅 degauss

なまし方には何種類かあり、smoke 束・beginner 束では smearing='mv'(Methfessel–Paxton 型 (1989)、以下 MP)を使っている。MP は、なめらかな坂に置き換えても全エネルギーの値ができるだけずれにくいように工夫されたなまし方で、金属の計算でよく使われる。smearing='mv' がなまし方の関数の選択、degauss がその坂の幅(単位は Ry)を与える。smoke 束では degauss=0.02 Ry を採っている。

幅の取り方には綱引きがある。幅を狭くするほど、なました占有は本来の鋭い段差に忠実になり、物理からのずれは小さい。だがそのぶん段差は急なままだから、積分を安定させるにはより密な k 点が要る。逆に幅を広くすれば、坂はゆるくなって積分は安定し、粗い k 点でも回しやすくなるが、本来の段差からのずれが大きくなる。狭くすれば物理に忠実だが k を食い、広くすれば安定するが物理からずれる。だから degauss の良い値は単独では決まらず、k 点の刻みとの兼ね合いで決まる。便利な近似のつまみであって、それ自体が物性を表す量ではない。

この綱引きがあるからこそ、degauss を動かしたとき何が起きるかを実データで見ておく値打ちがある。次節で、幅を変えると \(M\) がどう動くかを Phase3 で確かめる。

3 Phase3 の結果:外れ値と安定範囲

beginner 束の Phase3 は、ecutwfc=80 Ry を固定し、degauss を 0.005・0.01・0.02・0.05 Ry の四段階に振ったスイープである。degauss の効きが k 点と結び合うことを見るために、これを k=\(8\times8\times6\) と k=\(12\times12\times8\) の二つのメッシュで走らせている。両者の \(M\) を並べる。Ry はあわせて eV にも直しておく(\(1\ \mathrm{Ry}=13.606\) eV)。

degauss (Ry) degauss (eV) k=8×8×6 の \(M\) k=12×12×8 の \(M\)
0.005 0.068 1.625 1.665
0.01 0.136 1.625 1.670
0.02 0.272 1.655 1.660
0.05 0.680 1.815 1.800
図 2: 磁気モーメント \(M\) vs degauss。k=8×8×6 と k=12×12×8 の二系列。0.005–0.02 Ry では \(M\) がおよそ 1.62–1.67 の帯に収まるのに対し、0.05 Ry(=0.68 eV)だけが 1.8 台へ跳ね上がる外れ値になっている。

図 2 を読む。まず両系列に共通する特徴として、degauss が 0.005 から 0.02 Ry の範囲では、\(M\) はおよそ \(1.62\) から \(1.67\) のあいだの狭い帯に収まる。メッシュによって帯の中での前後はあるが(k=\(8\times8\times6\) では \(1.625\) 前後、k=\(12\times12\times8\) では \(1.66\) 前後)、いずれも穏やかな範囲にとどまる。ところが幅をひといきに 0.05 Ry(=0.68 eV)まで広げると、\(M\) は両系列とも \(1.8\) 台へ跳ね上がる。k=\(8\times8\times6\)\(1.815\)、k=\(12\times12\times8\)\(1.800\) である。前節の言葉でいえば、0.05 Ry まで坂をゆるくすると、本来の段差からのずれが磁気モーメントにはっきり現れてしまった、と読める。安定域から外れたこの 0.05 Ry を、外れ値として識別できる。

ここで踏みとどまりたい。この四点を眺めると、つい「degauss を大きくするほど \(M\) が大きくなる」「だから幅を広げれば必ず磁化を過大評価する」と言いたくなる。だが、この一言は二重に行き過ぎている。第一に、観測できたのはこの構造・この k メッシュ・この擬ポテンシャルという一組の条件での四点にすぎない。第二に、この効きは k メッシュと結び合っている。表を横に見れば、同じ 0.05 Ry でも k=\(8\times8\times6\)\(12\times12\times8\)\(M\) の跳ね方が違い、安定域の中でも二つの系列は帯の中での位置を入れ替えている。degauss 単独では \(M\) の動きは決まらず、k 点との組み合わせで決まる。だから言えるのは、「この条件では 0.05 Ry が外れ値で、0.005–0.02 Ry が安定だった」という範囲の事実までである。それを「幅を大きくすれば必ず過大」という一般法則に格上げするのは、手元のデータが支えない一歩になる。

この読み方は、実務にそのまま効く。smoke 束も最終計算も、安定域の中の幅(0.02 Ry や 0.01 Ry)を選んでいる。外れ値の 0.05 Ry をうっかり採れば、磁気モーメントが \(1.8\) 台と過大に出て、あたかもコバルトがより強い磁石であるかのような数字が返る。degauss は答えを左右する道具だからこそ、安定域の中から選び、選んだ理由を k 点との兼ね合いで言えるようにしておく。

小課題 7.1

Phase3 の結果について答えよ。

  1. degauss の各値を eV に換算せよ(\(1\ \mathrm{Ry}=13.606\) eV)。0.005, 0.01, 0.02, 0.05 Ry はそれぞれ何 eV か。

  2. k=8×8×6 の系列で \(M=1.815\) という過大な値を出したのはどの幅か。安定域と比べて、それを外れ値と判定してよい根拠を述べよ。

  3. この結果から「degauss を大きくすれば磁化はいつでも過大になる」と結論してよいか。理由とともに一言で述べよ。

解答例

  1. 換算は \(0.005\,\mathrm{Ry}=0.068\) eV、\(0.01\,\mathrm{Ry}=0.136\) eV、\(0.02\,\mathrm{Ry}=0.272\) eV、\(0.05\,\mathrm{Ry}=0.680\) eV。

  2. \(M=1.815\) を出したのは 0.05 Ry(0.68 eV)。安定域では \(M\)\(1.625\) から \(1.655\) の狭い帯に収まっているのに対し、0.05 Ry だけが \(1.8\) 台へ跳ねている。帯から大きく外れ、しかも k=12×12×8 でも同様に \(1.800\) へ跳ねていることから、特定のメッシュのまぐれではなく幅が広すぎたことによる外れ値だと判定できる。

  3. 結論してはいけない。観測できたのは、この構造・この k メッシュ・この擬ポテンシャルという一組の条件での四点にすぎない。しかも degauss の効きは k メッシュと結合しており(表を横に見ると同じ幅でも系列で値が違う)、幅単独では \(M\) の動きは決まらない。一例から「大きくすれば必ず過大」という法則を引くのは行き過ぎで、言えるのは「この条件で 0.05 Ry が外れ、0.005–0.02 Ry が安定だった」という範囲の事実までである。

よくある誤解

degauss は占有を温度でぼかすつまみなのだから、0.05 Ry(0.68 eV)はおよそ 7900 K の温度に相当し、その高温で磁化が増えたのだ」と読みたくなる。だが、ここでのスメアリングは計算を安定に回すための数値的な細工であって、温度という物理そのものではない。0.68 eV を温度に換算して物理的な意味を読み込むのは筋が違う。0.05 Ry で \(M\) が跳ねたのは、坂をゆるくしすぎて本来のフェルミ面の段差からずれた数値的な現れであって、コバルトが高温で強い磁石になったわけではない。degauss の値そのものに物性の意味を負わせない、という線を引いておく。

4 この章のまとめ

  • スメアリング(occupations='smearing', smearing='mv', degauss)は、金属のフェルミ面の鋭い段差をなめらかな坂にならして積分を安定させる数値的な道具である。温度のような物性そのものではない。
  • degauss には綱引きがある。狭くすれば物理に忠実だが k 点を密に要し、広くすれば安定するが物理からのずれが増える。良い値は k 点との兼ね合いで決まる。
  • Phase3 では、0.005–0.02 Ry で \(M\) がおよそ \(1.62\)\(1.67\) の帯に収まり、0.05 Ry(0.68 eV)だけが \(1.8\) 台へ跳ねる外れ値だった。smoke 束はその安定域内の 0.02 Ry を採っている。
  • この効きは k メッシュと結び合っており、degauss 単独では決まらない。だから「この条件で 0.05 Ry が外れ値、0.005–0.02 Ry が安定」という範囲の事実までを言い、「大きくすれば必ず過大」という一般法則には格上げしない。
  • ここまでで、磁化 \(M\) が k 点にも degauss にも乗る量だと分かった。計算条件に乗ったこの数字を、次の部では検算で締めていく。まず、初期磁化 starting_magnetization が答えではないこと(第8章)から始める。