9  機械学習による設計 ― 観測から制御へ

半世紀の観測が積み上げた知見を、物質設計に使えないか。
物理を組み込んだ機械学習が、化学的直観を超える候補を選ぶ。
LaCoO₃ の物語は、観測の歴史から制御の歴史へと閉じる。

1 観測から設計へ

ここまで八章にわたって、LaCoO₃ の研究史をたどってきた。100 K の磁化率ピーク(第1章)に始まり、Co³⁺ のスピン状態(第2章)、二準位の熱励起(第3章)、HS/IS 論争(第4章)、格子との結合(第5章)、60 T のレベル交差(第6章)、Sr 置換(第7章)、そして B サイト置換(第8章)へと進んできた。

この長い旅で、私たちは一つの原理を手にした。第8章で見たように、B サイト置換で格子体積を変えれば、磁気励起エネルギー \(\Delta_{\mathrm I}\) を動かせる。格子が膨らむほど \(\Delta_{\mathrm I}\) は下がり、磁性基底状態に近づく。ならば、この原理を使って、望みのスピン状態をもつ物質を狙って設計できるのではないか。本章では、機械学習を道具に、この設計を実際にやってみせた最新の研究(浅倉・佐藤ら、2025 年)を見る。

2 物理を組み込んだ機械学習

機械学習と聞くと、「大量のデータからブラックボックスが答えを出す」という印象を持つかもしれない。だが、この研究のやり方は違う。鍵は、物理的な知識をあらかじめ機械学習に組み込むことにある。

具体的には、第8章で確立した「B サイトのイオン半径が大きいほど格子が広がり \(\Delta_{\mathrm I}\) が下がる」という物理的な単調性を、まず単調なベースラインとして与え、そこからのずれ(残差)だけをガウス過程回帰で学習させた。こうすると、限られた実験データからでも、物理的にありえない予測(例えば、半径を大きくしたのに \(\Delta\) が乱高下する)を排除でき、信頼できる外挿ができる。実際、交差検証(手持ちデータの一部を隠して予測精度を確かめる手続き)では、試験データに対しておよそ 7 K 程度の誤差が報告されている。励起エネルギーが 100 K オーダーであることを思えば、これは十分小さい。

この物理込みの予測が選び出したのが、これまで LaCoO₃ の B サイト置換ではあまり注目されてこなかった イットリウム Y である。半径の大きい Y³⁺ を B サイトに入れると格子が広がり、\(\Delta_{\mathrm I}\) を効果的に下げて磁性基底状態に近づける、有望な 3 価候補だと予測された。

この研究の要点は「機械学習が正解を出した」ことではない。第8章で得た物理(B サイトイオン半径と励起エネルギーの単調関係)をベースラインとして組み込んだ探索が、従来の化学的直観では見落とされていた Y という候補を選び出した、という点にある。

3 予測を実験で検証する

予測しただけでは設計とは言えない。著者らは、予測された LaCo₁₋ₓYₓO₃ を実際に合成し、検証した。

  • 構造(XRD):Y 置換は、単純な等方的な体積膨張ではなく、\(c/a\) 比が単調に増える 異方的な格子ひずみを生むことがわかった。格子はただ膨らむのではなく、特定の方向に伸びる。
  • 価数(XPS):Co は主に 3 価(Co³⁺)のままであることが確認された。Y 置換は Co の価数を変えるのではなく、格子を通じてスピン状態に効いている。
  • 磁性(磁化測定):次の図が示すように、Y を増やすと 100 K 付近の磁化ピークが低温側へ移動し、低温の磁化が増大する。これは、\(\Delta_{\mathrm I}\) が下がって磁性状態が低温でも占有されやすくなった――予測した傾向と整合する――振る舞いである。

当たったのは「傾き」であって「絶対値」ではない

機械学習が正しく捉えたのは、「Y を入れると \(\Delta_{\mathrm I}\) が下がる」という傾向(向き)である。一方、励起エネルギーの絶対値には、予測と実験のあいだにずれがある(例えば \(x=0.05\) では、予測値と実験フィット値が同じではない)。これは失敗ではなく、現状の到達点を正直に示すものだ。物理を組み込んだ探索は、有望な方向を指し示すのに長けているが、最終的な値は実験で確かめる必要がある――「予測して、作って、測る」という設計のサイクルが、ここでも回っている。

図 1: LaCo₁₋ₓYₓO₃ の磁化の温度依存性(9 T)。赤の \(x=0\)(純 LaCoO₃)は 100 K 付近に磁化のピークをもつが、Y 置換量 \(x\) を増やすと、ピークが低温側へ移り、低温の磁化が増大する。励起エネルギーが下がり、磁性状態が低温でも占有されやすくなったことを示す。図:著者作成(Asakura ら, J. Magn. Magn. Mater. 635 (2025) 173593, Fig. 7 のデータ・概念に基づく)。

図 1 を第1章の 図 1 と並べて見てほしい。物語は一周した。第1章では、私たちは純 LaCoO₃ の磁化ピークを「謎」として眺めるしかなかった。いま私たちは、そのピークを置換によって狙った方向へ動かしている。同じ磁化ピークが、観測の対象から、設計の対象へと変わったのである。

Y 置換は、予測した傾向どおり磁化ピークを低温へ動かした。第1章で「謎」として眺めた磁化ピークが、最終章では「設計して動かす対象」になっている。観測の歴史が、制御の歴史へと閉じた。

4 LaCoO₃ の物語、一枚の地図

本書全体を、一枚の概念図にまとめておこう。LaCoO₃ という一つの物質をめぐって、問いがどう形を変えながら深まっていったか――その流れである。

flowchart TD
    A["100 K の磁気異常<br/>(第1章)"] --> B["LS 基底状態<br/>Co³⁺ のスピン状態(第2・3章)"]
    B --> C["HS / IS 論争<br/>(第4章)"]
    C --> D["スピン・格子・軌道の結合<br/>磁歪(第5章)"]
    D --> E["高磁場レベル交差 60 T<br/>Co_I / Co_II(第6章)"]
    E --> F["Sr 置換 → Co_III<br/>磁気クラスター(第7章)"]
    F --> G["B サイト置換<br/>励起エネルギーの制御(第8章)"]
    G --> I["機械学習による設計<br/>Y 置換(第9章)"]
    C -.HS と IS の共存へ.-> E
    E -.同じ原理.-> G
    A -.観測.-> I
    I -.制御.-> A

    classDef obs fill:#d1ecf1,stroke:#17a2b8;
    classDef ctrl fill:#d4edda,stroke:#28a745;
    class A,B,C,D,E,F obs;
    class G,I ctrl;
図 2: LaCoO₃ の物語:一つの磁化率ピークをめぐる問いの変遷。

この地図の背骨は単純である。一つの磁化率ピークから出発し、それを説明しようとするたびに新しい問いが生まれ、模型・実験・物質設計が少しずつ姿を変えてきた。青(観測)から緑(制御)へ――LaCoO₃ の歴史は、異常現象の発見から、機構の理解を経て、物性の制御・材料設計へと進んだのである。

5 最終課題

本書の最終課題

LaCoO₃ の研究史を、次の五つのうち三つ以上を用いて、自分の言葉で説明せよ。

  1. 100 K 付近の磁気異常(第1章)
  2. HS/IS 論争(第4章)
  3. 高磁場実験による Co_I・Co_II の発見(第6章)
  4. Sr 置換または B サイト置換(第7・8章)
  5. 機械学習による物質設計(第9章)

そのうえで、最後に次の問いに自分の立場を述べよ。

「LaCoO₃ は単一イオン模型で理解できる物質か。」

(ヒント:第3章の二準位模型はどこまで成功し、どこで足りなくなったか。第6章の Co_I/Co_II、第7章の磁気クラスターは、単一イオンの描像だけで説明できるか。事実と解釈を区別しながら論じるとよい。)

6 おわりに ― 一つの物質が教えること

LaCoO₃ は、一見すると地味な酸化物である。だがその一つの磁化率ピークの裏には、結晶場と Hund 結合の綱引き、スピンと格子と軌道の絡み合い、巨大磁場でのレベル交差、置換による局所的なスピン相分離、そして機械学習による設計まで――固体物理の主要な主題の多くが詰まっていた。

本書を通じて伝えたかったのは、個々の知識そのものよりも、一つの問いがどう深まっていくかという、物理研究の歩き方である。異常を見つけ、機構を問い、模型を作り、その限界にぶつかり、別の窓から覗き直し、やがて制御へ向かう。LaCoO₃ の半世紀は、その歩き方の、典型的な一つの実例である。

この物質には、まだ決着していない問いも残っている(Co_I と Co_II はなぜ同じサイトに共存できるのか、磁性状態は HS か IS か)。物語は閉じたが、研究は閉じていない。次にこの問いを進めるのは、いまこの教材を読み終えたあなたかもしれない。