7 Sr 置換 ― 一つのホールが多数の Co を変える
ランタンの一部をストロンチウムに置き換えると、ホールが一つ生まれる。
その一つのホールが、周囲の三十個もの Co のスピン状態を変えてしまう。
なぜ、たった一つが、これほど多くを動かすのか。
1 置換でホールを入れる
前章までで、LaCoO₃ には性質の異なる二種類の Co――Co_I と Co_II――が共存することが見えてきた。どちらも基底状態は非磁性で、温めるか、強い磁場をかけて初めて磁性を示す。本章では、外から手を加えて、最初から磁性をもつ第三の Co を作り出す。
その手段が 置換 である。LaCoO₃ の La(ランタン)は 3 価のイオン La³⁺ だが、その一部を 2 価のストロンチウム Sr²⁺ に置き換える。すると電荷のつじつまを合わせるために、Co の側に ホール(電子の抜け穴)が一つ導入される。化学式で書けば La₁₋ₓSrₓCoO₃ で、\(x\) が Sr の割合である。
素朴に考えれば、「ホールが一つ入れば、Co が一つだけ磁性に変わる」と思うかもしれない。ところが、実際に起こることはまるで違った。
La³⁺ を Sr²⁺ に置き換えると、Co にホールが一つ導入される。これが「最初から磁性をもつ」第三の Co、すなわち Co_III を生む引き金になる。
2 一つのホールが三十個を変える
著者ら(佐藤ら、2011 年)は、ごく薄く Sr を置換した La₁₋ₓSrₓCoO₃(\(x \le 0.05\))の磁化を 67 T までの高磁場で測定し、Co を三種類――Co_I、Co_II、そして新顔の Co_III――に分けて解析した。Co_III は、Co_I・Co_II と違い、基底状態そのものが磁性である。次の図が、その三種類の割合が Sr 濃度 \(x\) とともにどう変わるかを示している。
図 1 の核心は、Co_III(◆)の立ち上がりの 急峻さ にある。\(x = 0\) 付近で Co_III の割合に接線を引くと、その傾きは図に明示されたとおり「縦 0.3 ÷ 横 0.01 = 30」である。つまり、
Sr²⁺ を一個(=ホール一個)入れるごとに、約 30 個の非磁性 Co が磁性の Co_III に変わる。
一つのホールが、自分自身の一個だけでなく、周囲のおよそ 30 個の Co のスピン状態を磁性へ変えてしまう。これが、本章で確かめる事実である。
「30 個」は数えた数ではなく、傾きから読んだ値
「約 30 個」は、Co を一つずつ数えた値ではない。図 1 で希薄極限(\(x \to 0\))の接線の傾きから読み取った見積りである。だから必ず「約」を付ける。実際の値は不純物磁化の影響などで揺らぎうるが、「一つのホールが多数の Co を変える」という定性的な事実は揺るがない。
3 なぜ多数を変えられるのか ― 磁気クラスター
一つのホールが 30 個もの Co を変えられるのはなぜか。鍵は、ホールが一か所に固定されず、周囲を動き回ることにある。
ホールが Co のあいだを動き回ると、その通り道にある Co のスピン状態が次々に磁性へそろえられていく。結果として、ホール一つの周りに、約 30 個の磁性 Co_III が集まった 磁気クラスター(磁性の島)ができる。クラスターの中では Co_III どうしが短距離の強磁性的な相関で結びつき、ひとまとまりとして振る舞う。
ただし、これを「30 個が完全にそろった巨大な磁石」と思ってはいけない。元論文の解析では、クラスターの実効的なモーメントは、30 個が完全に整列した場合に期待される値よりもかなり小さい。完全な強磁性整列ではなく、短距離の強磁性相関をもつまとまり、と理解するのが正確である。
このように、動き回るホールが周囲のスピンをそろえて一つの磁気的なまとまりを作る描像を、スピンポーラロン(spin-polaron)と呼ぶ。クラスター内部で 30 個もの Co を束ねている主役は、この動き回る一個のホールだと考えられている。
ホールは一か所に留まらず動き回り、通り道の Co を磁性 Co_III へそろえる。その結果、ホール一個の周りに約 30 個の Co_III からなる磁気クラスターができる。これがスピンポーラロンの描像である。
4 二つの磁場スケール ― クラスターの内と外
磁気クラスターには、強さの違う二種類の磁気的な結びつきがある。これを混同しないことが、本章の理解の要である。
- クラスターの内側:約 30 個の Co_III は、動き回るホールによって強く束ねられている。この内部の相関は、10 テスラ程度の磁場をかけても壊れないほど頑丈である。
- クラスターの外側:クラスターどうしの結びつきは弱い。\(x = 0.03\)、\(0.05\) では、この弱い結合のために、低温・弱磁場(2 mT)でクラスター同士がランダムな向きのまま凍りつく。これが スピングラス的凍結 で、凍結温度はそれぞれ \(T_{\mathrm g} = 10\,\mathrm{K}\)、\(18\,\mathrm{K}\) である。
ここで大事なのは、スピングラス凍結が「クラスター内の凍結」ではなく「クラスター同士の凍結」だという点である。強いクラスター内相関と、弱いクラスター間相互作用――この二階層の磁気構造が、Sr 置換系の振る舞いを決めている。
5 小課題
小課題 7-1:傾きから 30 を読む
図 1 で、Co_III の割合 \(p_{\mathrm{III}}\) は希薄極限で Sr 濃度 \(x\) に比例して増える。\(x = 0.01\) で \(p_{\mathrm{III}}\) が約 0.3 増えるとして、Sr²⁺ 一個あたり何個の Co が Co_III に変わるかを求めよ。(ヒント:Sr 濃度 \(x\) は Co 一個あたりの Sr の割合に対応する。)
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\(x = 0.01\) は「Co 100 個あたり Sr 1 個」に対応する。このとき Co_III の割合が 0.3 増えるので、Co 100 個のうち 30 個が Co_III になった計算になる。Sr は 1 個だから、Sr 一個あたり \(30 / 1 = 30\) 個の Co が Co_III に変わる。これが 図 1 の接線の傾き「0.3 / 0.01 = 30」の意味である。
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小課題 7-2:二つの磁場スケールを説明する
Sr 置換系のスピングラス凍結は「クラスター内の凍結」ではなく「クラスター同士の凍結」である。この違いを、クラスター内とクラスター間の磁気的な結びつきの強さの違いに基づいて説明せよ。
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クラスターの内側では、動き回るホールが約 30 個の Co_III を強く束ねており、この相関は数テスラの磁場でも壊れないほど頑丈である。一方、クラスターどうしの結びつきは弱い。低温では、この弱い結合のためにクラスターがそれぞれランダムな向きを向いたまま凍りつく。凍るのは個々のクラスター内部の秩序ではなく、すでに一つのまとまりになったクラスター同士の相対的な向きである。だからスピングラス凍結は「クラスター同士の凍結」と表現するのが正しい。
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6 歴史的位置づけと次への問い
Sr 置換は、LaCoO₃ の見方をもう一段広げた。「置換=電子数を変えるだけ」ではない。一つのホールが、動き回りながら周囲の多数の Co のスピン状態を変え、磁気クラスターを作る。第6章で見えた Co_I・Co_II の共存に、いまや磁性の Co_III が加わり、スピン状態が局所的に分かれて共存する スピン相分離 の描像が立ち上がってきた。
Sr 置換は、La サイト(A サイト)にホールを入れる操作だった。では、Co そのもの(B サイト)を別の元素に置き換えたら、何が起こるのか。
Co を別の金属で置き換えれば、励起エネルギー \(\Delta\) そのものを外から動かせるのではないか。スピン状態転移を、設計できるのではないか。
次章では、Co を Al・Ga・Rh・Ir で置換し、60 T の転移磁場を上げたり下げたりしてみせる。LaCoO₃ の物語が、現象の理解から 物質の設計 へと舵を切る章である。