8 B サイト置換 ― 励起エネルギーを動かす
Co そのものを別の金属で置き換えると、60 T の転移磁場が動く。
Al で上がり、Ga で動かず、Rh と Ir で大きく下がる。
元素置換は、物性を変えるノブであると同時に、隠れた自由度を見分ける物差しでもある。
1 B サイトを置き換える
前章の Sr 置換は、La(A サイト)を置き換えてホールを入れる操作だった。本章では、結晶の中心にいる Co そのもの(B サイト) を別の 3 価金属で置き換える。化学式は LaCo₁₋ₓMₓO₃ で、\(M\) に Al・Ga・Rh・Ir を選ぶ。
狙いは、第6章で見た励起エネルギー \(\Delta\) を外から動かすことである。第5章で見たように、磁性状態は LS より八面体の体積が大きい。だから、置換で格子の体積を変えてやれば、磁性状態の安定性――すなわち \(\Delta\)――を変えられるはずだ。\(\Delta\) が変われば、式 1(\(\Delta \simeq g\mu_{\mathrm B}H_c\))を通じて、60 T の転移磁場 \(H_c\) も動くはずである。
四つの置換元素の素性
Al³⁺(d⁰)と Ga³⁺(3d¹⁰ の閉殻)は、どちらも磁性に関わる開殻の d 電子をもたない。だから磁性には直接寄与せず、主に格子の大きさを変える「おもり」として働く。一方、Rh³⁺ と Ir³⁺ は Co と同じ d⁶ の仲間で、磁性に直接関わりうる。この「磁性に効く d 電子の有無」の差が、置換効果の違いを生む。
2 転移磁場が動く
著者ら(佐藤ら、2014 年)は、これらの置換系の磁化を 67 T までの高磁場で測定した。次の図は、Rh で置換したときの磁化の微分 \(\mathrm{d}M/\mathrm{d}(\mu_0 H)\) である。微分のピークが、転移磁場 \(H_c\) の位置を示す。
図 1 を下から上へ読むと、置換のない \(x=0\)(赤)ではピークが約 60 T にあるのに対し、Rh を増やすほどピーク(矢印)が低磁場側へ系統的に移動していくのがわかる。Rh は、励起エネルギー \(\Delta_{\mathrm I}\) を下げ、転移を起こしやすくしているのである。
置換元素によって、効果はまるで違う。整理すると次のようになる。
| 置換元素 \(M\) | d 電子 | 転移磁場 \(H_c\) への効果 |
|---|---|---|
| Al³⁺ | d⁰ | 上昇(格子を縮め、\(\Delta_{\mathrm I}\) を上げる。\(x \ge 0.01\) で 67 T を超え観測外へ) |
| Ga³⁺ | 3d¹⁰(閉殻) | ほぼ不変(転移が幅広くなるだけ) |
| Rh³⁺ | d⁶ | 大きく低下(\(\Delta_{\mathrm I}\) を下げ、磁性の Co_III も生む) |
| Ir³⁺ | d⁶ | 大きく低下(同上) |
Co を別の金属で置き換えると、転移磁場 \(H_c\) を上げ下げできる。Al で上昇、Ga でほぼ不変、Rh・Ir で大きく低下する。元素置換は、スピン状態転移を制御する「ノブ」になる。
3 励起エネルギーは格子体積で決まる ― ただし Co_I だけ
なぜ置換で \(\Delta\) が動くのか。著者らは、励起エネルギーを格子体積に対してプロットして、その答えを示した。次の図がそれである。
図 2 には、二つのまったく違う振る舞いが重なっている。
- Co_I の \(\Delta_{\mathrm I}\)(塗りつぶし):格子体積が増えるほど、直線的に下がる。格子が膨らむと、体積の大きい磁性状態が安定化し、励起エネルギーが下がるためだ。Rh・Ir は格子を膨らませるので、\(\Delta_{\mathrm I}\) が下がり、転移磁場も下がる。第5章で見た「磁性状態は体積が大きい」という描像が、ここで設計原理として効いている。
- Co_II の \(\Delta_{\mathrm{II}}\)(白抜き):格子体積を変えても、約 215 K でほとんど動かない。
この非対称性こそが、本章のいちばんの収穫である。同じ置換が、Co_I の励起エネルギーは動かすのに、Co_II のそれは動かさない。Co_I と Co_II は、ただ励起エネルギーが違うだけの二種ではなく、格子に対する応答の仕方からして別物なのである。第6章で「二種類の Co が共存する」と述べたが、その二種が本質的に異なることが、置換という外からの操作で炙り出された。
\(\Delta_{\mathrm I}\) は格子体積とともに低下するが、\(\Delta_{\mathrm{II}}\) は体積に依らずほぼ一定。同じ置換が一方だけを動かすという非対称性が、Co_I と Co_II が本質的に別物であることを示す。元素置換は、隠れた二種類の自由度を見分ける物差しになる。
4 置換はプローブである
ここで、置換に対する見方を一段引き上げよう。素朴には、元素置換は「物性を変える手段」である。Al を入れれば転移磁場が上がる、Rh を入れれば下がる――確かにそのとおりだ。
だが本章が示したのは、それ以上のことである。\(H_c\) が動いたという事実だけでなく、何が動いて何が動かないかの対比にこそ、情報がある。Al・Ga(d⁰)は格子を通じて \(\Delta_{\mathrm I}\) を動かすだけだが、Rh・Ir(d⁶)は磁性の Co_III まで生み出す。そして、どの置換も \(\Delta_{\mathrm I}\) は動かすが \(\Delta_{\mathrm{II}}\) は動かさない。これらの対比が、肉眼では見えない LaCoO₃ の内部構造――Co_I と Co_II の本質的な違い――を浮かび上がらせた。
モデルは現象論であることを忘れない
Co_I/Co_II/Co_III の三分割、「15 %」という割合、HS と IS の共存は、いずれも磁化のフィットに基づく解釈モデルであって、直接の観測量ではない。確実なのは「60 T の転移」「転移磁場が置換で増減する」といった事実であり、その背後の描像は「〜と考えられる」という階段の上の段にある。事実と解釈を区別して読むこと。
5 小課題
小課題 8-1:転移磁場とエネルギーを結ぶ
式 1(\(\Delta \simeq g\mu_{\mathrm B}H_c\))を踏まえ、「Rh 置換で \(\Delta_{\mathrm I}\) が下がる」ことと「Rh 置換で転移磁場 \(H_c\) が下がる」ことが、なぜ同じ現象の表裏なのかを説明せよ。
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転移は、磁性状態がゼーマンエネルギーで基底状態と交差する磁場で起こり、その条件は \(\Delta_{\mathrm I} \simeq g_{\mathrm I}\mu_{\mathrm B}H_c\) である。これを \(H_c\) について解くと \(H_c \simeq \Delta_{\mathrm I}/(g_{\mathrm I}\mu_{\mathrm B})\) で、\(H_c\) は \(\Delta_{\mathrm I}\) に比例する。だから Rh 置換で \(\Delta_{\mathrm I}\) が下がれば、必要なゼーマンエネルギーが小さくて済み、転移磁場 \(H_c\) も下がる。図 2 の「\(\Delta_{\mathrm I}\) の低下」と 図 1 の「\(H_c\) の低下」は、同じ現象をエネルギーの軸と磁場の軸から見たものである。
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小課題 8-2:非対称性の意味
「同じ置換が \(\Delta_{\mathrm I}\) は動かすのに \(\Delta_{\mathrm{II}}\) は動かさない」という事実は、Co_I と Co_II について何を語っているか。「置換は隠れた自由度のプローブである」という本章の主張と結びつけて述べよ。
解答例を見る
\(\Delta_{\mathrm I}\) が格子体積に敏感で \(\Delta_{\mathrm{II}}\) が鈍感だということは、Co_I と Co_II が「励起エネルギーの数値が違うだけの同種」ではなく、格子との結びつき方からして異なる別種であることを示す。外から格子体積を変えるという同じ操作に対し、一方だけが応答することで、肉眼では見えない二種類の Co の存在とその違いが炙り出される。これが「置換は物性を変えるだけでなく、隠れた自由度を見分ける物差し(プローブ)になる」という主張の具体例である。
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6 歴史的位置づけと次への問い
B サイト置換は、LaCoO₃ の物語に「設計」という新しい動詞を持ち込んだ。励起エネルギーを格子体積で動かし、転移磁場を上げ下げし、磁性の Co_III を生み出す――現象を理解するだけだった段階から、現象を作り出し、制御する段階へ進んだのである。第4章の HS/IS 論争も、ここで「Co_I は HS 励起、Co_II は IS 励起として共存する」という形にまとまった。
ここまでで、私たちは一つの設計原理を手にした。格子体積を変えれば励起エネルギー \(\Delta\) が動き、\(\Delta\) が動けば磁性の現れ方が変わる。だが、この原理を使って実際に望みの物質を「狙って」作ろうとすると、新しい問いが立ちふさがる。
どの元素を、どれだけ置換すれば、狙った性質が得られるのか? 無数にある候補の中から、それをどうやって選び出すのか。
次章では、これまで積み上げてきた物理的な知見を出発点に、機械学習を組み合わせて物質を設計する最新の試みを見る。観測から始まった LaCoO₃ の物語が、制御を経て、設計へと閉じる最終章である。