flowchart TB
A1["A 層<br>分率座標 z=0<br>原子 (0,0,0)"] --> B["B 層<br>z=1/2<br>原子 (1/3,2/3,1/2)<br>A のくぼみに乗る"]
B --> A2["A 層(次の箱)<br>z=1<br>= (0,0,0) のコピー"]
A2 --> R["ABAB… の<br>繰り返し<br>= hcp"]
4 hcp Co を手で作る
原子が一種類だけの、いちばん見通しのよい金属で、結晶を一つ組み立ててみよう。
箱の形・中身・大きさ――前章までの道具は、本物の結晶でそろって働くのか。
この章のゴール:2原子基底と軸比 \(c/a\) をもつ六方晶 Co を、格子ベクトル・分率座標・体積を総動員して組み立て、\(c/a\) を hcp の理想値 \(\sqrt{8/3}\approx1.633\) と対比でき、同じ結晶を QE 入力の二通りの書き方に着地できるようになる。
ここまでで道具は出そろった。並べる規則を表す格子ベクトル(第1章)、箱の中身を住所で書く分率座標(第2章)、そして斜めの箱でも正しく測れる体積(第2章)。この章では、それらを一斉に手を動かして、本物の結晶を一つ組み立てる。選ぶのは Co――原子が一種類だけの金属だ。一種類なら基底の中身に気を取られずにすみ、箱の形と並べ方だけに集中できる。結晶を「置く」とはどういう作業か、その全工程をいちど通しで歩く。
Co の常温の結晶は、六方最密充填(hexagonal close-packed, hcp)という形をとる。名前は仰々しいが、中身は単純だ。前章で体積を計算した、あの底面 \(120°\) の六角柱――その箱に、原子をたった2個配れば出来上がる。順に組み立てていこう。
1 箱を置く ― 六方晶の格子ベクトル
まず箱の形を決める。Co の hcp は、底面が一辺 \(a\) のひし形(内角 \(120°\) と \(60°\))、高さ \(c\) の柱である。底面の二辺と高さを、第2章と同じ取り方で格子ベクトルに書き下すと、
\[ \mathbf{a}_1 = (a,\,0,\,0),\qquad \mathbf{a}_2 = \left(-\frac{a}{2},\ \frac{\sqrt3}{2}a,\ 0\right),\qquad \mathbf{a}_3 = (0,\,0,\,c) \]
となる。底面の二辺 \(\mathbf{a}_1,\mathbf{a}_2\) は長さがどちらも \(a\) で、互いに \(120°\) をなす。実際、内積をとると
\[ \mathbf{a}_1\cdot\mathbf{a}_2 = a\cdot\left(-\frac{a}{2}\right) + 0 + 0 = -\frac{a^2}{2} = |\mathbf{a}_1|\,|\mathbf{a}_2|\cos\theta \]
だから \(\cos\theta = -1/2\)、すなわち \(\theta = 120°\) である。\(\mathbf{a}_3\) は底面に垂直で、長さ \(c\)。底面の二辺だけが斜めに交わり、高さ方向は直角に立っている――この「底面は斜め・高さは直角」という非対称が、第4章で逆格子を測るときに効いてくるので、いまのうちに目に焼きつけておきたい。
\(120°\) か \(60°\) か
六方晶の底面ひし形は、見る向きしだいで \(120°\) にも \(60°\) にも見える。格子ベクトルの取り方として標準なのは、\(\mathbf{a}_1\) と \(\mathbf{a}_2\) のなす角を \(120°\) にとるほうだ(上の \(\mathbf{a}_2\) は \(x\) 軸の左上に伸びている)。\(60°\) の取り方をしても同じ結晶を表せるが、次節の基底の分率座標が変わる。箱の取り方を決めたら、基底はその取り方に合わせて読む――この対応を最後までずらさないことが、座標を取り違えない要になる。
2 中身を配る ― 2原子基底
箱が決まったら、中身を入れる。hcp の基底は Co 原子2個。分率座標で
\[ (0,\,0,\,0)\qquad\text{と}\qquad \left(\frac{1}{3},\ \frac{2}{3},\ \frac{1}{2}\right) \]
の二か所に置く。前者は箱の角、後者は箱の内部に浮いた一点だ。第2章で約束したとおり、この \((x,y,z)\) は「各辺を何割すすんだか」を表すので、上で決めた格子ベクトル \(\mathbf{a}_1,\mathbf{a}_2,\mathbf{a}_3\) の取り方とセットで読む。\(\mathbf{a}_2\) を \(120°\) 側にとったから、二つめの原子は \((1/3,2/3,1/2)\) になる(\(60°\) 側にとれば \((2/3,1/3,1/2)\) と書く。指す原子は同じ一点だ)。
二つめの原子が実空間でどこに来るかを、分率座標から実座標へ翻訳して確かめよう。第2章の式 \(\mathbf{r}=x\mathbf{a}_1+y\mathbf{a}_2+z\mathbf{a}_3\) に入れると、
\[ \mathbf{r}_2 = \frac{1}{3}\mathbf{a}_1 + \frac{2}{3}\mathbf{a}_2 + \frac{1}{2}\mathbf{a}_3 = \left(\frac{a}{3}-\frac{a}{3},\ \frac{2}{3}\cdot\frac{\sqrt3}{2}a,\ \frac{c}{2}\right) = \left(0,\ \frac{a}{\sqrt3},\ \frac{c}{2}\right). \]
\(x\) 成分はちょうど打ち消し合って \(0\) になり、高さは箱の半分 \(c/2\)。底面内では、角の原子がつくる正三角形の重心の真上に乗る。つまり二つめの Co は、一つめの層のくぼみにはまり込み、ちょうど半分の高さに浮いている。これが「最密充填」の名の由来だ――球を積むとき、下の層のくぼみに上の層を落とすと、いちばん隙間なく詰まる。その積み方が、いまの2原子基底に畳み込まれている。図 1 に、その積み方を球で描いた。
第1章で「基底2個なら hcp」と予告したのが、ここで具体物になった。並べる規則(六方晶の格子)は箱が引き受け、中身(2個の Co)だけを配る。同じ六方晶の格子でも、基底を1個に減らせば単純六方になる。第7章のペロブスカイトは、格子そのものが立方晶に変わり、基底も5個になる別の例だ――格子と基底の両方を取り替えれば、まったく違う結晶へ移れる。規則を使い回し、中身を差し替えるという第1章の分業が、ここでも効いている。
小課題 3.1
上の二つめの原子 \((1/3,2/3,1/2)\) について、実座標が \(\left(0,\ a/\sqrt3,\ c/2\right)\) になることを自分の手で確かめよ。続けて、この原子から角の原子 \((0,0,0)\) までの距離を求め、\(c/a=\sqrt{8/3}\)(理想値)のとき、その距離がちょうど \(a\) に等しくなることを示せ。
解答例
\(\mathbf{r}_2=\tfrac13\mathbf{a}_1+\tfrac23\mathbf{a}_2+\tfrac12\mathbf{a}_3\) に成分を入れると、\(x=\tfrac{a}{3}+\tfrac23\!\left(-\tfrac{a}{2}\right)=\tfrac{a}{3}-\tfrac{a}{3}=0\)、\(y=\tfrac23\cdot\tfrac{\sqrt3}{2}a=\tfrac{a}{\sqrt3}\)、\(z=\tfrac{c}{2}\)。よって \(\mathbf{r}_2=\left(0,\,a/\sqrt3,\,c/2\right)\)。原点の原子までの距離は \[ d=\sqrt{\left(\frac{a}{\sqrt3}\right)^2+\left(\frac{c}{2}\right)^2}=\sqrt{\frac{a^2}{3}+\frac{c^2}{4}}. \] ここに理想軸比 \(c^2/a^2=8/3\)、すなわち \(c^2/4=\tfrac14\cdot\tfrac83 a^2=\tfrac23 a^2\) を入れると、\(d=\sqrt{\tfrac{a^2}{3}+\tfrac{2a^2}{3}}=\sqrt{a^2}=a\)。層内の最近接距離 \(a\) と、層をまたぐ距離が等しくなる――どの方向を向いても隣までの距離が同じ、というのが「最密」の幾何的な中身である。理想軸比はこの等距離条件から出てくる。
3 軸比 \(c/a\) ― 理想値とのずれを読む
前の小課題で、理想軸比 \(\sqrt{8/3}\) が「層内と層間の最近接距離が等しくなる条件」から出ることを見た。値にすると
\[ \left(\frac{c}{a}\right)_{\text{ideal}}=\sqrt{\frac{8}{3}}\approx 1.633 \]
である。これは、完全な剛体球を最密に積んだときに自動的に決まる、純幾何の数だ。では本物の Co はどうか。実測の格子定数は \(a\approx 2.51\ \text{Å}\), \(c\approx 4.07\ \text{Å}\) で、軸比は
\[ \frac{c}{a}=\frac{4.07}{2.51}\approx 1.621 \]
となる。理想値 \(1.633\) と比べると、ずれは \((1.621-1.633)/1.633\approx -0.7\%\)。理想の剛体球モデルより、わずかに \(c\) 方向につぶれている。
このずれをどう読むか。0.7% という小ささは、Co の原子が「ほぼ剛体球として最密に積んだ」近似でよく説明できることを意味する。一方で、ずれが厳密にゼロでないことは、原子を完全な剛体球とみなす近似が最終解ではないことを物語る。原因として結合の方向性などが効いている可能性は排除できないが、ここでは深追いしない。剛体球モデルは出発点として優秀だ――その但し書きが、わずか 0.7% という数字に表れている。数値を裸で置かず、理想値という物差しに当てて初めて、この「ほぼ理想・でも少しずれる」という読みが立つ。
小課題 3.2
\(a=2.51\ \text{Å}\), \(c=4.07\ \text{Å}\) から \(c/a\) を計算し、理想値 \(\sqrt{8/3}\) と何 % ずれるかを求めよ。続けて、第2章で導いた六角柱原始胞の体積 \(V=\dfrac{\sqrt3}{2}a^2c\) にこの値を入れ、\(V\) を求めよ。原子1個あたりの体積もあわせて出せ(基底は2原子)。
解答例
\(c/a=4.07/2.51\approx1.621\)。理想値は \(\sqrt{8/3}\approx1.633\) なので、ずれは \((1.621-1.633)/1.633\approx-0.7\%\)(\(c\) 方向にわずかにつぶれている)。体積は \[ V=\frac{\sqrt3}{2}a^2c=\frac{\sqrt3}{2}(2.51)^2(4.07)\approx 22.2\ \text{Å}^3, \] これは第2章で出した値とぴたり一致する(同じ箱だから当然である)。箱に Co が2個入っているので、原子1個あたりは \(22.2/2\approx 11.1\ \text{Å}^3\)。金属の原子1個が占める体積として 10 ų 程度――このオーダー感は、ほかの金属と比べるときの物差しになる。
4 単位胞を一枚の絵にする
ここまでの三つ――箱(格子ベクトル)・中身(2原子基底)・大きさ(体積)――を、一枚にまとめておこう。図 3 に、何がどこを決めているかの対応を示す。
flowchart LR
G["格子ベクトル<br>a₁,a₂,a₃<br>底面120°・高さc"] --> U["hcp Co の<br>単位胞"]
B["2原子基底<br>(0,0,0)<br>(1/3,2/3,1/2)"] --> U
V["体積<br>V=(√3/2)a²c<br>≈22.2 ų"] --> U
U --> O["c/a≈1.621<br>(理想1.633)"]
この三点が決まれば、単位胞は紙の上にも計算機の中にも一意に再現できる。実際に手で描くなら、まず底面に \(120°\) のひし形を引き、四隅に Co を置く。次にひし形の重心の真上、高さ \(c/2\) の所にもう一つ Co を浮かせる。これで原始胞ひとつ分。あとは第1章の並進ベクトル \(\mathbf{R}\) で上下左右に複製すれば、六角柱が組み上がっていく。
紙の上の作図を計算機で確かめたいときは、可視化ソフト(VESTA など)に格子定数 \(a,c\) と2原子の分率座標を入れれば、立体の単位胞をその場で描いてくれる。入力するのは、いままさに決めた三点――\(a,c\) と \((0,0,0),(1/3,2/3,1/2)\)――だけだ。手で描いた絵と画面の絵が一致すれば、組み立ては正しい。組み上がった原始胞を 図 4 に示す。底面 \(120°\) のひし形と高さ \(c\) の柱に、2個の Co が前述の住所どおり収まっているのが見てとれる。
原子は何個と数えるか
六角柱の「慣用胞」を描くと、角や辺の上に原子がたくさん乗って見え、数を取り違えやすい。第2章で約束したとおり、角や面に乗った原子は複数の箱で分け合うので、分け前を足し合わせて数える。だが本章で使った原始胞(底面 \(120°\) のひし形柱)なら、その勘定はすでに済んでいて、箱の中の Co はちょうど2個。基底が2原子、というのはこの原始胞での話だ。どの箱で数えているかを取り違えると、原子数が3倍に化ける(六角柱の慣用胞は原始胞3個分にあたる)。
5 構造を物理へ渡す ― QE の二通りの書き方
組み立てた hcp Co を、計算機に渡してみよう。第一原理計算のソフト QE(Quantum ESPRESSO)は、結晶構造を数行のテキストで受け取る。本書では QE を「構造を物理へ渡す言語」の一例として軽く触れるだけだが、ここで一度、いままで手で決めた量がそのまま入力の各行になることを見ておきたい。同じ hcp Co を、二通りに書ける。
書き方その一:型を指定する(ibrav=4)。 QE には、よく使うブラヴェ格子の型があらかじめ番号で用意されている。六方晶はその一つで ibrav=4。型さえ指定すれば、格子ベクトルの向き(底面 \(120°\)・高さ直角)は QE が知っているので、人間は寸法 \(a,c\) だけを渡せばよい。
&system
ibrav = 4
A = 2.51 ! a(Å)
C = 4.07 ! c(Å)
nat = 2
ntyp = 1
/
ATOMIC_POSITIONS crystal
Co 0.000000 0.000000 0.000000
Co 0.333333 0.666667 0.500000
ibrav=4 のとき QE が内部で組む格子ベクトルは、\(\mathbf{a}_1=a(1,0,0)\), \(\mathbf{a}_2=a(-1/2,\sqrt3/2,0)\), \(\mathbf{a}_3=(0,0,c)\)――本章の冒頭で書いたものと一字一句同じだ。だから寸法 \(a,c\) を渡すだけで箱が立ち上がる。
書き方その二:ベクトルを直に渡す(ibrav=0)。 型に頼らず、格子ベクトルを成分のまま手渡すこともできる。このとき ibrav=0 と書き、CELL_PARAMETERS に三辺を並べる。
&system
ibrav = 0
nat = 2
ntyp = 1
/
CELL_PARAMETERS angstrom
2.510000 0.000000 0.000000
-1.255000 2.173000 0.000000
0.000000 0.000000 4.070000
ATOMIC_POSITIONS crystal
Co 0.000000 0.000000 0.000000
Co 0.333333 0.666667 0.500000
CELL_PARAMETERS の三行は、上から \(\mathbf{a}_1,\mathbf{a}_2,\mathbf{a}_3\) の成分そのものだ。二行目の \(-1.255=-a/2\)、\(2.173=\tfrac{\sqrt3}{2}a\)(\(\sqrt3\times2.51/2\approx2.173\))も、本章の式と突き合わせれば確かめられる。型を使う書き方が「箱の組み立てを QE に任せる」やり方なら、こちらは「箱を自分で組んで渡す」やり方である。第1章で見た原始胞・慣用胞・超胞の選択も、CELL_PARAMETERS を書き換えれば自由にできる。周期をわざと延ばしたい場面(第8章・第9章)では、この自由が要る。
二通りに共通するのが、最後の ATOMIC_POSITIONS crystal の二行だ。ここに書いた 0 0 0 と 1/3 2/3 1/2 は、第2章で導入した分率座標、そのものである。crystal という指定が「この三つ組を分率座標として読め」という意味で、第2章の住所がそのまま計算機の言葉になっている。
同じ hcp Co が、QE では二通りに書ける。ibrav=4 は箱の組み立てを型に任せ、寸法 \(a,c\) だけを渡す。ibrav=0+CELL_PARAMETERS は格子ベクトルを直に渡す。どちらでも、原子位置 ATOMIC_POSITIONS crystal は第2章の分率座標 \((0,0,0)\) と \((1/3,2/3,1/2)\) のまま。構造を物理へ翻訳する、とは、こうして手で決めた箱と中身を、計算機が読む数行に置き換えることだ。
6 この章の到達点と、次への伏線
原子が一種類だけの金属 Co を、前章までの道具だけで組み立てた。底面 \(120°\)・高さ直角の六方晶の箱(格子ベクトル)に、Co を2個(\((0,0,0)\) と \((1/3,2/3,1/2)\))配り、体積 \(V=\tfrac{\sqrt3}{2}a^2c\approx22.2\ \text{Å}^3\) を測り、軸比 \(c/a\approx1.621\) を理想値 \(1.633\) と突き合わせて「ほぼ最密・でも 0.7% つぶれ」と読んだ。最後に、同じ構造が QE の二通りの書き方に落ち、分率座標がそのまま入力の一行になることを見た。結晶を置く全工程を、これで一度通した。
ここで一つ、先の章への布石を置いておく。Co は強磁性的な金属であり、原子の磁気が後の章で効いてくる。磁気は「組み上げた構造に後から足す飾り」ではなく、ときに単位胞そのものを選び直させる条件になる――この含みは第9章で正面から回収する。いまは、Co の箱がいつも今日のかたちとは限らない、とだけ覚えておけばよい。
そして次章では、組み立てたこの結晶を、別の目で見る。実空間に置いた周期構造を「波として」眺めると何が見えるか。底面が \(120°\) で斜め・高さだけが直角、というこの章で目に焼きつけた非対称が、そこで素朴な直感を裏切る。\(a\) 方向の周期を波数に直すと、なぜか \(2\pi/a\) にならない――その理由を、高校物理の正弦波から組み立て直すのが第4章である。