3  分率座標は住所

斜めに傾いた箱の中で、原子の位置をどう言い表せばよいのか。
そして、隣の箱の同じ場所と、どう見分ければよいのか。

この章のゴール:原子の位置を分率座標 \((x,y,z)\) で読み書きでき、斜めの単位胞でも同じやり方が効くこと、そして \((x,y,z)\)\((x+1,y,z)\) が同じ住所を指すことを示せるようになる。

前章で、結晶は「格子ベクトル(並べる規則)」と「基底(箱の中身)」の二つに畳めると分かった。残る仕事は、その箱の中身――原子が箱のどこに居るか――を数で書くことだ。素直に思いつくのは、定規で測った長さ、つまり \(x\) 軸方向に何 Å、\(y\) 軸方向に何 Å、という書き方(直交座標、カルテシアン)である。立方体の箱なら、これで困らない。

ところが箱は、前章で約束したとおり、斜めに傾いていてよい。Co の結晶(次章)は二辺が \(120°\) で交わる。傾いた箱を直交座標で書こうとすると、原子の位置に \(\sqrt{3}/2\) のような半端な数が紛れ込み、「箱のどのあたりか」が読み取りにくくなる。もっと箱に寄り添った書き方はないか。ある。箱の辺そのものを物差しにするのだ。

1 分率座標 ― 箱の辺を物差しにする

原子の位置ベクトル \(\mathbf{r}\) を、直交座標の数値ではなく、格子ベクトル \(\mathbf{a}_1,\mathbf{a}_2,\mathbf{a}_3\) を使って

\[ \mathbf{r} = x\,\mathbf{a}_1 + y\,\mathbf{a}_2 + z\,\mathbf{a}_3 \]

と書く。この係数の組 \((x,y,z)\)分率座標と呼ぶ。\(x=1\) なら「\(\mathbf{a}_1\) 方向にちょうど箱一つ分」、\(x=1/2\) なら「半分だけ」という意味だ。長さの単位(Å)はもう要らない。\((x,y,z)\) は、箱の辺を基準にしたであり、無次元の数である。

分率座標 \((x,y,z)\) は、原子が「箱の辺をそれぞれ何割すすんだ所に居るか」を表す。箱が立方体でも斜めでも、書き方は変わらない。箱の傾きは格子ベクトル \(\mathbf{a}_i\) のほうが背負ってくれるからだ。

ここが、分率座標の効きどころである。箱がどれだけ斜めでも、\((x,y,z)\) の意味は「各辺を何割すすんだか」のまま動かない。傾きの情報はすべて \(\mathbf{a}_i\) の側に押し込められ、座標 \((x,y,z)\) はいつも同じ素直な読み方ができる。立方体のときの直感が、そのまま斜めの箱でも通用する――この便利さのために、結晶学も計算機の入力も、原子位置を分率座標で書くのが標準になっている。

図 1 で、同じ住所 \((1/2,1/2)\) を正方形の箱と \(120°\) 斜めの箱の二つに打ってみる。分率座標ではどちらも「各辺を半分すすんだ所」=箱の中心で、割合の位置は同じだ。ところが定規で測った実座標(カルテシアン)に直すと、正方形では \((a/2,a/2)\)、斜めの箱では \((a/4,\sqrt3 a/4)\) と、まるで違う数になる。同じ住所が、箱の傾きしだいで違う実座標を指す――傾きを \(\mathbf{a}_i\) が背負い、住所 \((x,y,z)\) はいつも素直なまま、という分業がここに見える。

図 1: 同じ分率座標 \((1/2,1/2)\) を二つの箱に打つ。左の正方形の箱では実座標は箱の中心 \((a/2,a/2)=(1.25,1.25)\)。右の \(120°\) 斜めの箱では、同じ \((1/2,1/2)\) が実座標 \((a/4,\sqrt3 a/4)=(0.63,1.08)\) に来る(灰の破線は \(\tfrac12\mathbf{a}_1\) すすんでから \(\tfrac12\mathbf{a}_2\) すすむ作図)。分率座標は両者で同じ「各辺の半分」を指すのに、実座標は箱の傾きのぶんだけ違う。傾きは格子ベクトル \(\mathbf{a}_i\) が背負い、住所はいつも変わらない。

2 「住所」として読む

分率座標は、住所にたとえると腑に落ちる。ある原子の住所は、二段でできている。

  • どの箱か ― 整数部分。前章の並進ベクトル \(\mathbf{R}=n_1\mathbf{a}_1+n_2\mathbf{a}_2+n_3\mathbf{a}_3\) が、いわば「街区」を指す。
  • 箱の中のどこか ― 小数部分。\(0\) 以上 \(1\) 未満の \((x,y,z)\) が、いわば「部屋番号」を指す。

街区が無限にあっても、各街区の間取りは同じだ。だから私たちは部屋番号、つまり \(0\le x,y,z<1\) の範囲だけを覚えればよい。前章で「無限を数件に畳む」と言ったことが、座標の言葉でもう一度立ち現れる。基底とは、結局のところひとつの箱の中の部屋番号の一覧にほかならない。

flowchart LR
    A["原子の住所"] --> B["どの箱か<br>整数部分 n₁,n₂,n₃<br>(並進ベクトル R)"]
    A --> C["箱の中のどこか<br>小数部分 0≤x,y,z<1<br>(分率座標)"]
    C --> D["基底 =<br>箱ひとつ分の<br>部屋番号の一覧"]
図 2: 原子の住所は二段。どの箱か(整数部分=並進ベクトル R)と、箱の中のどこか(小数部分=分率座標)。間取りはどの箱でも同じ。

3 隣の箱の同じ部屋 ― modulo 1

住所のたとえを、もう一歩だけ進めよう。部屋番号 \((x,y,z)\) に整数を足した \((x+1,\,y,\,z)\) は、何を指すか。\(\mathbf{a}_1\) 方向に箱ひとつ分すすんだ先――隣の街区の、同じ間取りの同じ部屋である。間取りは同じだから、そこに居る原子も同じ種類、同じ役回りだ。結晶にとって、この二つは区別する必要がない。

\[ (x,\,y,\,z) \;\sim\; (x+1,\,y,\,z) \;\sim\; (x,\,y+1,\,z) \;\sim\;\cdots \]

つまり分率座標は、整数ぶんのちがいを無視して読む。数学の言葉では「\(1\) を法として(modulo 1)」等しい、と言う。たとえば \(x=1.3\) と書いてあれば、それは隣の箱の \(x=0.3\) と同じ部屋を指しているので、ふつうは \(0.3\) と読み替える。逆に、箱の角 \(x=0\) にある原子は、隣の箱から見れば \(x=1\) の原子でもある。角や面に乗った原子は、複数の箱で分け合っている――この数え方は、次章で hcp の原子を、第7章でペロブスカイトの原子を数えるときに効いてくる。

よくある混同

\((x+1,y,z)\) が「別の原子」に見えてしまうことがある。だが結晶は無限に同じ箱が続くので、隣の箱の対応する部屋は、元の原子のコピーであって新顔ではない。基底を数えるときは、\(0\le x,y,z<1\) の代表だけを数え、整数ぶん離れたコピーは数えない。これを忘れると、原子を二重に数えてしまう。

小課題 2.1

2次元で、(i) 正方形の箱(\(\mathbf{a}_1=(a,0),\ \mathbf{a}_2=(0,a)\))と、(ii) 斜めの箱(\(\mathbf{a}_1=(a,0),\ \mathbf{a}_2=(a\cos120°,\,a\sin120°)\))の二つを描け。どちらの箱にも、分率座標 \((x,y)=(1/2,\,1/2)\) の点を打て。二つの点は、箱の中で同じ「割合の位置」にあるか。直交座標(実際の \(x,y\) の値)では同じか。

解答例

分率座標ではどちらも \((1/2,1/2)\)、つまり「各辺を半分すすんだ所」で、箱の中の割合の位置は同じである(正方形なら中心、斜めの箱なら平行四辺形の中心)。いっぽう直交座標に直すと、(i) は \((a/2,\,a/2)\)、(ii) は \(\mathbf{r}=\tfrac12\mathbf{a}_1+\tfrac12\mathbf{a}_2=\left(\tfrac{a}{2}+\tfrac{a\cos120°}{2},\ \tfrac{a\sin120°}{2}\right)=\left(\tfrac{a}{4},\ \tfrac{\sqrt3\,a}{4}\right)\) となり、数値はまるで違う。同じ住所(分率座標)が、箱の傾きしだいで違う実座標になる。傾きを \(\mathbf{a}_i\) が背負い、住所はいつも素直――この章の主張が、手を動かして確かめられたことになる。

4 箱の大きさを測る ― 単位胞体積

分率座標は「割合」だった。では、その箱が実際にどれだけの体積をもつかは、格子ベクトルのほうから決まる。三辺 \(\mathbf{a}_1,\mathbf{a}_2,\mathbf{a}_3\) が張る平行六面体の体積は、スカラー三重積で

\[ V = \mathbf{a}_1 \cdot (\mathbf{a}_2 \times \mathbf{a}_3) \]

と書ける。立方体なら \(V=a^3\) と当たり前の値になるが、この式のありがたみは箱が斜めでも正しく体積を返す点にある。辺の長さだけを掛け算すると、傾いた箱では実際よりも大きく見積もってしまう。外積 \(\mathbf{a}_2\times\mathbf{a}_3\) が「底面の面積と向き」を、それとの内積が「高さ」を拾うので、傾きのぶんがちょうど差し引かれる。

ひとつ手を動かしておこう。次章の Co は、底面が一辺 \(a\)\(120°\) ひし形、高さ \(c\) の六角柱(の原始胞)である。底面の二辺を \(\mathbf{a}_1=(a,0,0)\)\(\mathbf{a}_2=(-a/2,\ \sqrt3\,a/2,\ 0)\)、高さを \(\mathbf{a}_3=(0,0,c)\) にとると、

\[ V = \mathbf{a}_1\cdot(\mathbf{a}_2\times\mathbf{a}_3) = \frac{\sqrt3}{2}\,a^2 c . \]

\(a=2.51\ \text{Å}\), \(c=4.07\ \text{Å}\) を入れれば \(V\approx 22.2\ \text{Å}^3\) となる(この値は次章でそのまま使う)。辺の積 \(a\cdot a\cdot c\approx 25.6\ \text{Å}^3\) と比べると、\(\sqrt3/2\approx0.866\) ぶんだけ小さい。斜めの箱は、辺を掛けただけの体積より必ず小さい――その差を生むのが、いま見た外積の幾何である。

小課題 2.2

上の六角柱の原始胞について、\(V=\dfrac{\sqrt3}{2}a^2 c\) を自分で導け。ヒント:\(\mathbf{a}_2\times\mathbf{a}_3\) を成分計算し、\(\mathbf{a}_1\) との内積をとる。続けて、もし「辺の長さの積 \(a\cdot a\cdot c\)」で体積を見積もったら何倍になるかを答えよ。

解答例

\(\mathbf{a}_2\times\mathbf{a}_3=\left(-\tfrac{a}{2},\ \tfrac{\sqrt3 a}{2},\ 0\right)\times(0,0,c)=\left(\tfrac{\sqrt3 a c}{2},\ \tfrac{a c}{2},\ 0\right)\)。これと \(\mathbf{a}_1=(a,0,0)\) の内積は \(\tfrac{\sqrt3 a c}{2}\cdot a=\tfrac{\sqrt3}{2}a^2c\)。よって \(V=\tfrac{\sqrt3}{2}a^2c\)。辺の積 \(a\cdot a\cdot c\)\(V\)\(2/\sqrt3\approx1.155\) 倍、つまり約 15% 過大になる。箱の傾きを無視すると体積をこれだけ取り違える、という量的な感覚をもっておくとよい。

5 この章の到達点

原子の位置を、箱の辺を物差しにした分率座標 \((x,y,z)\) で書けるようになった。箱が斜めでも住所の読み方は変わらず、傾きは格子ベクトルが背負う。\((x,y,z)\)\(1\) を法として読み、整数ぶん離れた部屋は同じ原子のコピーとして数えない。そして箱の体積は、斜めでも正しく \(V=\mathbf{a}_1\cdot(\mathbf{a}_2\times\mathbf{a}_3)\) で測れる。

道具はそろった。次章では、これらを総動員して、本物の結晶を一つ組み立てる。原子が一種類だけの、いちばん見通しのよい金属――hcp Co である。格子ベクトル・基底・分率座標・単位胞体積が、そこで一斉に手を動かす。