flowchart TB
Q["何を知りたいか?"]
Q --> G["基底状態の<br>構造・全エネルギー・力"]
Q --> E["励起のエネルギー<br>(バンドギャップ)"]
Q --> L["強く局在した電子<br>(d・f 電子)"]
G --> DFT["標準的な DFT(PBE)<br>本書で使った道具で足りる"]
E --> GW["GW 近似<br>電子を1個出し入れする<br>エネルギーを正面から計算"]
E --> HY["ハイブリッド汎関数<br>交換の一部を補い<br>ギャップの過小評価を緩める"]
L --> U["DFT+U<br>局在電子の自己相互作用を<br>U で押し戻す"]
classDef done fill:#d4edda,stroke:#28a745;
classDef tool fill:#fff3cd,stroke:#ffc107;
class DFT done;
class GW,HY,U tool;
12 次の計算を設計する
ギャップが半分しか出ないと分かったとき、研究はそこから始まる。
次にどんな計算を設計するか ― いよいよ、読む側から書く側へ。
この章のゴール:次の計算(収束を詰める/汎関数を変える/物性を出す)を自分で設計でき、ギャップ問題の先(GW・ハイブリッド汎関数・DFT+U)を研究の地図として位置づけられるようになる。
1 読む側から、書く側へ
ここまで、ずいぶん遠くまで歩いてきた。第1章で、第一原理計算を「原子の配置を入れると力・全エネルギー・電子状態を返す変換器」と一言でとらえた。第II部では、その入力ファイルを命令の羅列ではなく一通の供述書として読み、波に解像度(ecutwfc)を与え、周期を \(k\) 点で標本化し、つじつまの合った電子状態にたどり着いた。第III部では、出てきた数字を実在と突き合わせた――格子定数は、計算に置いたのが実験どおりの \(5.43\ \mathrm{\text{Å}}\) で、本物の \(5.431\ \mathrm{\text{Å}}\) とほぼ重なった。バンドギャップは、標準的な PBE では 約 \(0.6\ \mathrm{eV}\) にとどまり、教科書の 約 \(1.1\ \mathrm{eV}\) の半分ほどになることが知られている。そして前章で、同じ一つの計算から強さの違う主張を書き分け、どこまで言えるかに線を引いた。
シリコンに固有の細部をはぎ取ると、あなたの手には三つの習慣が残っている。一つだけ変えて差を見ること。必ず検算する――出した数字を、理論値・実験値・オーダーという既知の値と必ず並べること。そして言えることの強さを刻むこと。この三つを、ここまでは本書が選んだ問い(シリコンの格子定数とギャップ)に当ててきた。
この最終章は、その三つの習慣の向きを変える。いままであなたは、誰かが――本書が――立てた計算を読む側にいた。ここから先は、同じ習慣を自分の問いに向ける。第4章で読み解いた入力ファイル、ibrav=2、celldm(1)=10.26、ecutwfc、K_POINTS――あれを覚えているだろうか。あの一行一行は、もうあなたが解読する暗号ではない。あなたが書く供述書である。本書はこの章で、ペンをあなたに手渡す。
ただし、新しい問いを設計する前に、前章で未解決のまま残ったギャップ――教科書値の半分しかない、あの数字――をもう一度開いておきたい。それを「直す」ことさえ、結局は問いに合った道具を選ぶ作業だと分かるからである。
2 ギャップを直すには ― 次の道具の地図
第9章の結論を思い出そう。PBE の計算はギャップを 約 \(0.6\ \mathrm{eV}\) と返し、教科書の 約 \(1.1\ \mathrm{eV}\) のおよそ半分だった。それでも私たちは「計算が壊れている」とは言わなかった。あの数字は、バンドギャップという名前で測られる実在の量とは別物を指していた、と読み替えたのである。すると当然、次の問いが立つ――では、測定された \(1.1\ \mathrm{eV}\) にもっと近づく計算は、あるのか。ある。いくつもある。ただしこの節は地図であって、道案内ではない。道の名前と、それぞれが何を補おうとするかだけを示し、踏み込まない。
なぜ「もっと優秀な DFT に変えれば直る」では済まないのか。理由は、それぞれの道具が何のために作られたかにある。PBE は基底状態を当てるために作られた道具だ――原子がどこに落ち着き、どれだけのエネルギーで結びつき、各原子にどんな力がはたらくか。一方バンドギャップは、詰まった準位から空いた準位へ電子を一個持ち上げるのに要するエネルギー、すなわち励起の量である。基底状態に合わせて作った道具が、励起をぴたりと当てる義理はない。だから次の一手は「もっと良い基底状態の道具」ではなく、「励起という問いに照準を合わせた道具」になる。
- GW 近似:電子を一個、結晶から実際に出し入れするのに要するエネルギー(準粒子のエネルギー)を正面から計算する。励起のギャップそのものを狙い撃ちする道具で、そのぶん計算は重い。
- ハイブリッド汎関数(PBE0、HSE など):交換項の一部を「厳密な」形で混ぜ込み、ギャップの系統的な過小評価をやわらげる。入力で言えば
input_dftを切り替える領域だが、中身には立ち入らない。 - DFT+U:強く局在した電子(遷移金属の \(d\) 電子、希土類の \(f\) 電子)に照準を合わせる。標準的な DFT では電子が自分自身の作る場をいくらか感じてしまう癖があり、それをパラメータ \(U\) で押し戻す。シリコンの電子はそれほど局在していないので、シリコン自身には出番がない――が、この道がどこへ続くかは後で触れる。
この地図は、道の集まりであって順位表ではない。GW がハイブリッドより「上」で、ハイブリッドが PBE より「上」だ、と読むのは誤りである。それぞれが特定の不足を、特定の代償と引き換えに補う。思い出してほしい――シリコンの基底状態を PBE はみごとに当て、格子定数のずれは 約 \(0.7\ \%\) にとどまった。あれは失敗ではなく勝利だった。格子定数を出すために GW を持ち出すのは、必要のない高速道路の通行料を払うようなものだ。問いに道具を合わせる――この判断こそ、第9章が用意し、この地図が形にするものである。
3 自分の問いで計算を設計する
道具の地図を手にしたら、三つの習慣を一つの手順に組み直そう。問いを一つに絞る → 一つだけ変えて差を見る → 既知の値と突き合わせて検算する → 主張の強さを刻む → 次の問いを立てる。本書で何度も回したこの一巡を、今度は自分のために回す。
flowchart LR
A["問いを<br>一つに絞る"] --> B["1 つだけ変えて<br>差を見る"]
B --> C["既知の値と<br>突き合わせて検算"]
C --> D["主張の<br>強さを刻む"]
D --> E["次の問いを<br>立てる"]
E -.-> A
この一巡の心臓は、二番目の「一つだけ変える」にある。なぜ一つだけなのか。整理整頓のためではない。帰属のためである。もし ecutwfc を上げると同時に汎関数も入れ替え、それで格子定数が動いたとしよう。その動きには親が二人いることになり、どちらの子か決められない。良い設計とは、観測された差の一つひとつを、ただ一つの原因にたどれるように仕込むことだ。ここまで繰り返してきた検算も比較も、突き詰めればこの一手のためにあった。では、その仕込みを自分の手でやってみよう。
小課題 11.1
第8章では、計算に格子定数を実験値どおり固定して与えた。では計算は、自分でも同じ格子を選ぶのか。それを確かめるには、格子定数を何点か変えて全エネルギーの最小(\(E\)–\(a\) 曲線の谷)を探せばよい――まだ走らせていない、この本の先の計算である。標準的な PBE はその谷を実験値より少し大きいところ(典型的に 約 \(5.47\ \mathrm{\text{Å}}\)、実験を 約 \(0.7\ \%\) 上回る)に返すことが知られている。仮にそうなったとして、その残りのずれの出どころをめぐって、二人の友人が言い争っている。
- A さん:「それは
ecutwfcか \(k\) 点が足りないだけ。収束を詰めればずれは消える。」 - B さん:「いや、それは PBE という汎関数のくせだ。詰めても残る。」
この二人の決着をつける一組の計算を設計せよ。(1) それぞれの計算で何を固定し、何を変えるかを述べよ。(2) どんな結果が出れば「収束の残差」を、どんな結果が出れば「汎関数のくせ」を支持するかを述べよ。
解答例
原則を先に置く。容疑者が二人いるなら、それぞれを一人ずつ切り分ける対照実験を二つ組む。各実験では一つだけ変える。
実験 A(収束を詰める)。汎関数は PBE に固定したまま、ecutwfc を 例えば \(30 \to 40 \to 50\ \mathrm{Ry}\) と上げ、\(k\) 点を \(6\times6\times6 \to 8\times8\times8\) と細かくし、そのたびに格子定数 \(a\) を最適化し直す。\(a\) の動きを読む。
- \(a\) が \(5.431\ \mathrm{\text{Å}}\) より高いところで頭打ちになり、詰めても動かなくなったら――残差は収束ではない。詰めても生き残ったのだから、原因は汎関数の側にある。
- \(a\) が詰めるたびに \(5.431\ \mathrm{\text{Å}}\) へ向かって下りていくなら――それは収束の残差だった。
実験 B(汎関数を変える)。今度は ecutwfc と \(k\) 点を、十分に詰めた値(例えば \(50\ \mathrm{Ry}\)、\(8\times8\times8\))に固定する。そのうえで擬ポテンシャルを PBE 用から LDA 用へ差し替え、汎関数だけを変えて \(a\) を最適化し直す。
ここで検算をする。代表的な値として、LDA はシリコンの格子定数を おおよそ \(5.40\ \mathrm{\text{Å}}\) と返すことが知られている(自分の擬ポテンシャルで一度確かめておくとよい)。実験値と並べると、
\[ \underbrace{5.40\ \mathrm{\text{Å}}}_{\text{LDA},\ -0.6\,\%} \;<\; \underbrace{5.431\ \mathrm{\text{Å}}}_{\text{実験}} \;<\; \underbrace{5.47\ \mathrm{\text{Å}}}_{\text{PBE},\ +0.7\,\%}. \]
二つの汎関数が実験値を両側から挟む。これが指紋である。もしずれが収束の残差なら、汎関数を変えても \(a\) は同じ向きに動くはずだ。両側に分かれて着地したのは、汎関数ごとに系統的な癖がある証拠にほかならない。
結論。実験 A は「詰めても残差が生き残る」ことを、実験 B は「汎関数を変えると \(a\) が実験値をまたいで動く」ことを示す。以上より、約 \(0.7\ \%\) のずれは収束の残差ではなく、PBE という汎関数のくせである。そしてこう言い切れるのは、ただ一つだけ変えて差を見たからにほかならない。二つを同時に動かしていたら、この結論は宙に浮いていた。
よくある誤解
「ギャップが合わないのは PBE が劣っているからで、もっと高級な汎関数に乗り換えれば何もかも直る」と考えたくなる。ここを前向きに直しておこう。地図の上の道具は「より正しい DFT」ではなく、それぞれが特定の問いに照準を合わせた別々の道具である。GW は励起のエネルギーを、DFT+U は局在電子を狙う。そのぶん計算は重く、基底状態の構造やエネルギーを出すだけなら、PBE がいちばん正直で見合った道具であることが多い。シリコンの格子定数を 約 \(0.7\ \%\) で当てた PBE に、わざわざ GW を持ち出す必要はない。腕の見せどころは、いちばん重い道具に手を伸ばすことではなく、問いに道具を合わせることのほうにある。
4 この本の先にあるもの
同じ三つの習慣は、シリコンを離れても、別の物質・別の問いでそのままはたらく。本書には姉妹本がある。『第一原理フォノンで比熱を組み立てる』は、本書が止まった「静かな格子」の先へ進み、格子の揺れ、そしてその揺れから比熱を組み立てる――同じ変換器に、熱という新しい問いを当て、同じ検算と「言えることの境界」を守る。『LaCoO₃ の構造とスピン状態』は、この章で名前だけ置いた DFT+U の道を、局在した \(d\) 電子がものを言う本物の酸化物の上で実際に歩く。地図に描いた道を、誰かが歩いている。どちらも、本書で身につけた構えのまま読み進められる。
5 この章のまとめ(と、次の問い)
最後に、手の中に何が残ったかを並べよう。
- ここまで読む側にいたあなたは、いまや書く側にいる。ここで身につけた三つの習慣――一つだけ変えて差を見る/必ず検算する/主張の強さを刻む――を、自分の問いに向けられること。
- ギャップ問題の先には道具の地図がある。GW(励起のエネルギー)、ハイブリッド汎関数(交換を補う)、DFT+U(局在電子)。地図は順位表ではなく、問いに道具を合わせるためのものだということ。
- 次の計算は、設計できる。問いを一つに絞り、一つだけ変えて差を見て、既知の値と検算し、強さを刻む。一つだけ変えるのは帰属のため――観測した差を、ただ一つの原因にたどれるようにするため。
- その型を当てれば、格子定数の 約 \(0.7\ \%\) のずれが「汎関数のくせ」か「収束の残差」かさえ、自分の手で切り分けられること。
ここで本書の問いに、あなた自身の言葉で答えてみてほしい――計算機の中のシリコンは、どこまで本物か。本書がたどり着いた答えはこうだ。基底状態については、驚くほど本物に近い。原子の並びとエネルギーに関しては、鉛筆で当てた \(5.4\ \mathrm{\text{Å}}\) も、計算に置いた \(5.43\ \mathrm{\text{Å}}\) も、PBE が平衡で返すとされる \(5.47\ \mathrm{\text{Å}}\) も、本物の \(5.431\ \mathrm{\text{Å}}\) から指一本ぶんしか離れていない。ここでは、計算機の中のシリコンは、桁で言い切れる精度で本物のシリコンそのものだ。励起については、そのままでは本物のギャップを指していない。読み方を間違えればおよそ半分に見える。けれどそれは壊れた結晶ではなく読み違いで、いまのあなたは、励起を正しく問うにはどの道具へ手を伸ばせばよいかを知っている。そして本当の収穫は――「どこまで」に自分で線を引けるようになったことだ。ここまでは本物、ここからは別の道具、この主張にはこれだけの強さ。その線がどこに落ちるかを言えること自体が、本物さの測り方を手にしたということである。
本書はここで閉じる。だが計算は閉じない。あなたの机の上には、まだ本書が触れていない物質と、まだ誰も突き合わせていない数字がある。次の問いを立てるのは――その数字を疑い、検算し、線を引くのは――いまこれを読み終えた、あなたかもしれない。さあ、入力ファイルを開こう。今度は、あなたの供述書だ。