flowchart TB
P1["第I部:動かす前に、物理を手で立てる<br>(何を知りたいか/結晶を数件のデータで/全エネルギーは比較の量)"]
P2["第II部:計算を組み立てる<br>(入力=物理の供述書/波の解像度/周期の標本化/つじつま合わせ)"]
P3["第III部:出力を疑い、検算する<br>(実在と突き合わせる/走り切った計算と信用できる計算)"]
P4["第IV部:言えることの境界<br>(主張の強さの階段/次の計算を設計する)"]
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計算機の中のシリコン
第一原理計算でつくる結晶は、どこまで本物か
計算機の中に置いたシリコンは、本物のシリコンとどこまで同じなのか。
その「どこまで」を、自分の手で確かめられるだろうか。
数行のテキストファイルを書き、Enter を押す。しばらくすると、画面には大きな負の数がひとつ現れる。たったいま、計算機の中にシリコンの結晶が「置かれ」、そのエネルギーが返ってきたのである。私たちは原子をひとつも触っていない。炉も、X 線も、磁場も使っていない。それでも計算機は、シリコンの格子の間隔も、電子のエネルギーも、平気な顔で出してくる。
では、その数字は本物のシリコンの何を写しているのだろうか。これが本書を最後まで貫く問いである。
1 第一原理計算とは、何を返す装置か
「第一原理計算」という言葉は、経験的に合わせ込んだパラメータに頼らず、原子核と電子という登場人物と、量子力学の基本法則だけから出発する、という意味である。入力として人間が与えるのは、煎じ詰めれば一点だけ――どの種類の原子が、どこにあるか。それだけを受け取って、計算機は「その配置のとき、各原子にどんな力がはたらき、系全体のエネルギーがいくらになるか」を返す。
本書は、第一原理計算をこの一言でとらえる。
第一原理計算とは、原子の配置を入れると、その配置での力と全エネルギー(そして電子の状態)を返す変換器である。本書の読者の仕事は、この変換器を操作することではなく、変換器が返した数字を疑い、検算し、どこまで本物かを見極めることである。
シリコンについて私たちが知りたいことは、たとえば次のようなものだ。原子はどれくらいの間隔で並ぶのか(格子定数)。その並びはどれだけ安定なのか(凝集エネルギー)。そしてなぜシリコンは金属でも絶縁体でもなく、半導体なのか(電子のエネルギーとバンドギャップ)。本書は、これらを計算機に出させ、一つずつ本物のシリコンと突き合わせていく。
2 最初の山場を、先に予告しておく
突き合わせの中で、ひとつだけ先に予告したい数字がある。バンドギャップ――電子が詰まった準位と空いた準位の間のエネルギーの隔たりである。物理の教科書を開けば、シリコンのバンドギャップは約 1.1 eV と書いてある。半導体としてのシリコンの性格を決める、由緒正しい値だ。
ところが、同じシリコンを第一原理計算(後で名前を挙げる標準的な近似)に計算させると、ギャップは 0.6 eV 前後しか出てこない。およそ半分である。
計算が壊れているのだろうか。それとも、私たちがその数字の意味を取り違えているのだろうか。本書はこの一点に向かって進み、第9章で正面から決着をつける。先に結論の形だけ言っておけば、答えは「計算は壊れていない。けれど、その数字をそのままシリコンのギャップだと読んではいけない」という、少し込み入ったものになる。なぜそう言えるのかを、あなた自身が説明できるようになること――それが本書のひとつの到達点である。
3 この本がたどる道
本書は、計算機を動かす前に物理を手の内に入れ、それから計算に当て、最後に「どこまで言えるか」に線を引く、という順で進む。
第I部では、まだ計算機を開かない。シリコンについて知りたいことを言葉にし、結晶を数件のデータで表す方法を手に入れ、「全エネルギー」という量が単独では何も語らないことを確かめる。第II部で初めて入力ファイルを開くが、それを命令の羅列としてではなく、ひとつの物理の供述書として一行ずつ読む。第III部で出力を実在と突き合わせ、例のバンドギャップにけりをつける。第IV部で、同じ計算から引ける強さの違う主張を階段に並べ、最後に「次にどんな計算を設計するか」へ橋を架ける。
4 本書が育てたいもの
本書は、Quantum ESPRESSO というソフトウェアをひとつの道具として使う。だが、本書が育てたいのはボタンの押し方ではない。インストール手順や並列計算の設定は、本書の主役ではない。主役は、出てきた数字を前にして「これは何の値で、どこまで信じてよいか」を自分で判断できる目である。その目は、シリコンを離れても、別の物質の計算でも、人の論文を読むときでも、同じようにはたらく。
読み終えたとき、あなたは「最後まで走り切った計算」と「信用できる計算」のあいだに、自分の手で線を引けるようになっている。その線こそ、本書が最初から最後まで一緒にたどっていく道である。
それでは、計算機を開く前に、まずシリコンの何を知りたいのかを言葉にするところから始めよう。