2 シリコンの何を知りたいのか
スマートフォンにも太陽電池にも、シリコンの結晶が入っている。
だが「シリコンを第一原理から計算する」とは、いったい何を計算することなのか。
この章のゴール:第一原理計算が「原子の配置 → 力と全エネルギー(そして電子の状態)」を返す変換器だと説明でき、本書がシリコンについて知りたい三つの量――格子定数・凝集エネルギー・電子状態――を挙げられるようになる。
1 ありふれていて、底が深い
シリコンは、地殻にいくらでもある、ありふれた元素である。それでいて、私たちの文明はこの結晶の上に乗っている。論理回路も、メモリも、太陽電池も、根っこをたどればシリコン結晶の中で電子がどう振る舞うかに行き着く。
ところが、その「どう振る舞うか」を決めている値――原子がどれくらいの間隔で並ぶか、なぜ金属ではなく半導体なのか――を、私たちは普段ほとんど問わない。教科書に書いてある数字として受け取って、先へ進む。本書はそこで立ち止まる。計算機の中にシリコンをもう一度つくり、出てきた数字を本物と突き合わせることで、その「なぜ」に自分の手で触れにいく。
2 第一原理計算は、何を受け取り、何を返すか
そのために使うのが第一原理計算である。まず、この道具が何をする箱なのかをはっきりさせておきたい。
人間が入力として与えるのは、煎じ詰めれば一点だけである――どの種類の原子が、どこにあるか。実験で測った値を後から合わせ込む、ということをしない。原子核と電子を量子力学の規則に従わせ、その配置でのエネルギーと、各原子にはたらく力を計算する。だから「第一原理(first principles)」と呼ぶ。
返ってくるのも、つきつめれば次の二つである。ひとつは、その配置での系全体の全エネルギー。もうひとつは、各原子を今より安定な位置へ動かそうとする力。そして同じ計算の途中で、電子がどのエネルギーの状態に何個入っているかという電子の状態も得られる。
第一原理計算は、原子の配置を入れると、その配置での力と全エネルギー、そして電子の状態を返す変換器である。それ以上でも、それ以下でもない。
この「それ以上でもそれ以下でもない」が、本書では大事になる。変換器が直接手渡してくるのは力とエネルギーであって、「シリコンのバンドギャップは○○ eV です」という保証付きの答えではない。物性は、返ってきた数字に私たちが一歩の解釈を加えて初めて姿を現す。その一歩のところに、第9章の山場が潜んでいる。
3 知りたいのは、三つの量
本書がシリコンについて計算機に問い、そのたびに本物と突き合わせていくのは、次の三つである。
- 格子定数 \(a\):原子がどれくらいの間隔で並ぶか。シリコンはダイヤモンドと同じ型の構造をとる。その「ものさし」が格子定数で、結晶の大きさを一つの長さで代表する(第2章)。
- 凝集エネルギー:ばらばらの原子に比べて、結晶になるとどれだけエネルギーが下がるか。結合の強さの目安であり、全エネルギーの差として定義される(第3章)。
- 電子の状態とバンドギャップ:電子はどのエネルギーに詰まり、どこが空くか。シリコンが半導体であることの正体であり、本書の最後の標的である(第9章)。
この三つはいずれも、計算機が一度の計算で「正解」として吐き出してくれるものではない。刻みを細かくし、近似を選び、出てきた値を既知の値と並べて、はじめて「どこまで本物か」が見えてくる。その作法を、本書は一章ずつ積み上げる。
4 まず、鉛筆で間隔を当ててみる
計算機を開く前に、ひとつ実験をしておこう。シリコンの原子間隔を、紙と鉛筆だけでどこまで当てられるだろうか。手元にある手がかりは、誰でも知っている二つの値――シリコンの密度と原子量――だけである。
見積もりの筋道はこうだ。まず密度と原子量から、原子一個が占める体積を出す。次に、立方の単位胞に原子が何個入るかが分かれば、単位胞の体積、すなわち格子定数が出る。まず見積もり、後で計算機と突き合わせる――この順番が、本書を通しての基本姿勢である。
小課題 1.1
シリコンの密度を \(\rho = 2.33\ \mathrm{g/cm^3}\)、原子量を \(M = 28.1\ \mathrm{g/mol}\) とする(アボガドロ数 \(N_A = 6.02\times10^{23}\ \mathrm{mol^{-1}}\))。
シリコン原子 1 個が占める体積を \(\mathrm{\text{Å}^3}\) で見積もれ(\(1\ \mathrm{cm^3} = 10^{24}\ \mathrm{\text{Å}^3}\))。
シリコンの立方単位胞には原子が 8 個入る。単位胞の体積から、格子定数 \(a\) を見積もれ。
解答例
原子 1 個の体積は、1 モル分の体積を原子数で割って \[ V_\text{atom} = \frac{M}{\rho\,N_A} = \frac{28.1}{2.33 \times 6.02\times10^{23}}\ \mathrm{cm^3} \approx 2.0\times10^{-23}\ \mathrm{cm^3}. \] \(1\ \mathrm{cm^3} = 10^{24}\ \mathrm{\text{Å}^3}\) だから、\(V_\text{atom} \approx 20\ \mathrm{\text{Å}^3}\)。
単位胞に 8 個入るので、単位胞の体積は \(V_\text{cell} \approx 8 \times 20 = 160\ \mathrm{\text{Å}^3}\)。これは一辺 \(a\) の立方体だから \[ a = V_\text{cell}^{1/3} \approx 160^{1/3} \approx 5.4\ \mathrm{\text{Å}}. \]
鉛筆だけで \(a \approx 5.4\ \mathrm{\text{Å}}\) が出た。本物のシリコンの格子定数は \(5.431\ \mathrm{\text{Å}}\) である。手の見積もりが、すでにこれだけ近い。第8章では、計算機が出す格子定数を、この見積もりと実験値の二つと並べて、三者がどこまで合うかを読む。
よくある誤解
「第一原理計算なら、シリコンの性質が何でも正しく出る」と思いたくなる。だが変換器が直接返すのは、あくまで配置に対する力とエネルギーである。バンドギャップのような物性は、その出力にもう一歩の解釈を重ねて得られるもので、その一歩には近似のくせがついて回る。この区別は、最後まで手放さないでほしい。「計算が何を直接返し、何を解釈で足しているか」を見分けられること――それが、ここで身につけたい一番の力である。
5 この章のまとめ
計算機を開く前に、足場が三つそろった。
- 第一原理計算は、原子の配置を入れると力・全エネルギー・電子状態を返す変換器であること。直接返すのは力とエネルギーで、物性はそこに解釈を加えて得られること。
- 本書がシリコンについて知りたいのは、格子定数・凝集エネルギー・電子状態(バンドギャップ)の三つであること。
- 密度と原子量だけから、格子定数を \(a \approx 5.4\ \mathrm{\text{Å}}\) と手で見積もれること。本物は \(5.431\ \mathrm{\text{Å}}\)。
残るのは、この「配置」を計算機にどう持たせるか、である。無限に続く結晶を、計算機は有限のデータでどう表すのか。次章で、シリコンの結晶を数件の数として「置く」方法を手に入れる。