日本語散文リンター「nihongo-slopless」をGitHubで公開しました

日本語散文リンター「nihongo-slopless」をGitHubで公開しました。 nihongo-slopless は、日本語Markdownやテキスト文書に含まれる、抽象的な表現、根拠不足、責任主体の曖昧さ、チャット応答の残骸、長すぎる文・段落などを、編集候補として提示するCLIツールです。現時点では公開ベータとして位置づけています。 このツールは、AIが書いたかどうかを判定するものではありません。作成者や生成元の推定ではなく、読み手が判断しにくくなる箇所を確認するためのものです。根拠が薄い、条件が書かれていない、責任主体がぼやけている、といった問題は、人間が書いた文章にも、AIが関わった文章にも起こり得ます。 同じ入力には同じ結果を返す、決定論的なCLIとして作りました。LLMに文章全体を評価させるのではなく、指摘の条件を見える形にして、公開前の確認や授業での振り返りに使えるようにすることを意図しています。 授業や研究室で使う場合も、指摘をすべて直すことは目的ではありません。直すか、あえて残すかを説明する材料として使い、主張、根拠、条件、読み手への配慮を確認する練習につなげたいと考えています。 今後は、実際の文書での誤検出や見逃しを記録しながら、研究計画、授業資料、広報文、AIエージェントが生成した草稿などの公開前確認に使いやすい形へ整えていく予定です。 関連リンク: GitHub: nihongo-slopless 公開資料

May 25, 2026 · 1 min · 佐藤桂輔

強みを研究室運営の手がかりとして見る

今年度の研究室メンバーに、クリフトンストレングスを受けてもらいました。 昨年度は、限られた予算を生成AIの利用環境に回したため、同じ形では実施しませんでした。AIを使える環境を整えることも、研究室の学びを支える大事な投資だったと思っています。一方で、昨年度の学生には同じ機会を用意できなかったので、少し心残りもあります。 今年度はあらためて、学生一人ひとりの学び方や関わり方を考える材料として、クリフトンストレングスを再開しました。 こうした結果は、学生を固定的に見るためのものではありません。「この人はこういうタイプだ」と決めつけるのではなく、研究室の中でどのように声をかけるか、どのように役割を渡すか、どのように安心して相談できる場をつくるかを考えるための手がかりとして扱いたいと思っています。そのため、ここでは個人の結果や順位には触れません。 結果を見ながら、私自身についても考えさせられました。 私は、思いついたことをすぐ試したくなるところがあります。研究の方向性を考えたり、新しい方法を試したりすることは好きですし、それが研究室の推進力になる場面もあります。一方で、教員が何気なく口にしたアイデアが、学生には「もう決定事項なのかな」と聞こえることもあるかもしれません。 こちらは「可能性として言った」つもりでも、受け取る側にとっては「やらなければならないこと」に見えてしまう。これは、私が気をつけなければならない点だと感じました。 そこで今年度は、少し意識して言葉を分けたいと思っています。 「これは思いつきです」 「これは候補です」 「これは今週やることです」 この3つを分けるだけでも、研究室の中での受け取り方は変わるのではないかと思います。研究のアイデアはたくさん出したい。しかし、それを全部すぐにタスクにする必要はありません。いったん棚に置くもの、少し調べてみるもの、今すぐ試すものを分けることで、発想の勢いと、学生のペースの両方を大事にできるはずです。 また、研究では「違和感を言えること」も大切です。データが予想と違う、計画に無理がある、説明がまだ弱い。そうした小さな引っかかりを早めに出せるかどうかで、研究の進み方は大きく変わります。 ただ、「自由に意見を言ってよい」と言うだけでは、十分ではないのかもしれません。反対意見や不安をその場で出すことには、思っている以上に負担がある場合があります。だからこそ、ゼミや面談の中で、「この計画が失敗するとしたら何が原因か」「今の案に心配な点を一つ挙げるなら何か」といった問いを、自然に入れていきたいと思っています。 強みを知ることは、人を分類することではなく、その人が力を出しやすい環境を考えることだと思います。 昨年度はAI環境を整え、今年度はあらためて人の側にも目を向けることにしました。AIをどう使うかを考えることと、学生がどのように学び、考え、関わるかを考えることは、別々の話ではありません。道具が高度になるほど、それを使う人間の側の理解も大事になると感じています。 今年度も、学生の皆さんと一緒に、試行錯誤しながら研究室をつくっていきたいと思います。

May 18, 2026 · 1 min · 佐藤桂輔

AIを測定装置のように疑う — 校正された不信感という作法

AIはブラックボックスだから危ない、という話をよく聞きます。確かに、中が見えない道具を確認なしに「答え」として扱うのは危ういと思います。 ただ、ブラックボックスであること自体を問題にすると、多くの道具を手放すことになります。万有引力の法則は強力に使えますが、なぜ質量を持つものが引き合うのかを根源まで閉じているわけではありません。実験装置も、内部をすべて自作できなくても、校正できる、誤差を見積もれる、どの条件で壊れるかを知っている、というところまで持っていければ道具として使えます。焦点は、ブラックボックスかどうかよりも、その癖をどこまで把握できているかの方にあると感じています。 信じる前に、まず測る 自動測定装置は便利です。試料をセットしてボタンを押せば、きれいなグラフが出ます。ただ、その曲線には試料の置き方、ホルダーの寄与、温度の揺れ、残留磁場、解析ソフトの前提が混ざります。慣れた人ほど、まず装置を疑います。標準試料を測る、空のホルダーを測る、変な値が出たら対象由来か装置由来か解析由来かを切り分ける。PPMSでもラマンでも、最初の数分はだいたい「装置と挨拶する時間」に消えていきます。 AIとの付き合い方も、ここに近いと感じています。「答えをくれる存在」と見ると危ういのですが、「応答を返す装置」と見ると少し扱いやすくなります。同じ問いを少し違う言い方で投げる、既知の問題で試す、返ってきた答えを手元の資料や自分の手計算で照らす。完全な透明性がなくても、安全に使える範囲までは持っていけます。必要なのは「校正された不信感」と呼びたい姿勢です。 ただ、AIは普通の測定装置とは少し違う 比喩としては通用するのですが、AIには測定装置にない厄介さもあります。 ひとつは、応答が固定されにくいこと。モデルの更新や設定、検索の有無、聞き方の少しの違いで結果が揺れます。 ふたつめは、誤りが数字として見えにくいこと。測定値ならばらつきやノイズで気づけますが、AIの誤りはもっともらしい文章として出てきます。エラーバーのかわりに、なめらかな説明が出てくる感じです。 そしていちばん厄介なのが、AIは答えだけでなく問いの形まで動かしてしまうことです。どの整理が自然そうか、どの論点が重要そうかまでセットで差し出してくる。気づくと、AIが答えやすい問いを「よい問い」だと思い始めているかもしれません。普通の測定装置は対象を測りますが、AIは対象を測りながら、使う人の理解感も一緒に動かしてしまうところがある。だからAIを使うときは、AIの応答と、それを読んだ自分の判断の、両方を測る必要があると感じています。 信頼は、気持ちではなく経路でつくる 実用的な作法は、案外地味です。既知の問題で試す、根拠が薄いときにどんな応答をするか観察する、得意な作業と苦手な作業を分ける、重要な判断に使ったときは、どの出力を何で確かめたかを短く残しておく。 すべてのやりとりを記録する必要はありません。残しておくとよいのは、判断に直接触れる部分だけです。何を入れて、何が返ってきて、どこを採用し、何と照らし合わせ、どこからは使わないと決めたか。「AIを使いました」だけでも「使いませんでした」だけでも、説明として足りない気がします。大事なのは、その判断がどんな確認を通っているかの方ではないかと思います。 おわりに AIを拒んでも安全になるわけではないし、任せきりにすれば賢くなるわけでもありません。透明でない道具と付き合う作法を、勘ではなく、後から辿れる経路にしていく作業だと感じています。同時に、検証の負担を使う側だけに背負わせず、組織や提供側にも置きどころを分けていく必要もありそうです。 最後にひとつだけ。AIを使う前に、自分は何を問いたかったのか。AIの答えを読んだあと、その問いは深まったのか、それともAIが答えやすい形に丸められただけなのか。AIは、問いを閉じる道具にも、広げる道具にもなり得ます。皆さんは、AIを使ったあとに、どんな問いが手元に残っていますか。

May 13, 2026 · 1 min · 佐藤桂輔