AIはブラックボックスだから危ない、という話をよく聞きます。確かに、中が見えない道具を確認なしに「答え」として扱うのは危ういと思います。

ただ、ブラックボックスであること自体を問題にすると、多くの道具を手放すことになります。万有引力の法則は強力に使えますが、なぜ質量を持つものが引き合うのかを根源まで閉じているわけではありません。実験装置も、内部をすべて自作できなくても、校正できる、誤差を見積もれる、どの条件で壊れるかを知っている、というところまで持っていければ道具として使えます。焦点は、ブラックボックスかどうかよりも、その癖をどこまで把握できているかの方にあると感じています。

信じる前に、まず測る

自動測定装置は便利です。試料をセットしてボタンを押せば、きれいなグラフが出ます。ただ、その曲線には試料の置き方、ホルダーの寄与、温度の揺れ、残留磁場、解析ソフトの前提が混ざります。慣れた人ほど、まず装置を疑います。標準試料を測る、空のホルダーを測る、変な値が出たら対象由来か装置由来か解析由来かを切り分ける。PPMSでもラマンでも、最初の数分はだいたい「装置と挨拶する時間」に消えていきます。

AIとの付き合い方も、ここに近いと感じています。「答えをくれる存在」と見ると危ういのですが、「応答を返す装置」と見ると少し扱いやすくなります。同じ問いを少し違う言い方で投げる、既知の問題で試す、返ってきた答えを手元の資料や自分の手計算で照らす。完全な透明性がなくても、安全に使える範囲までは持っていけます。必要なのは「校正された不信感」と呼びたい姿勢です。

ただ、AIは普通の測定装置とは少し違う

比喩としては通用するのですが、AIには測定装置にない厄介さもあります。

ひとつは、応答が固定されにくいこと。モデルの更新や設定、検索の有無、聞き方の少しの違いで結果が揺れます。

ふたつめは、誤りが数字として見えにくいこと。測定値ならばらつきやノイズで気づけますが、AIの誤りはもっともらしい文章として出てきます。エラーバーのかわりに、なめらかな説明が出てくる感じです。

そしていちばん厄介なのが、AIは答えだけでなく問いの形まで動かしてしまうことです。どの整理が自然そうか、どの論点が重要そうかまでセットで差し出してくる。気づくと、AIが答えやすい問いを「よい問い」だと思い始めているかもしれません。普通の測定装置は対象を測りますが、AIは対象を測りながら、使う人の理解感も一緒に動かしてしまうところがある。だからAIを使うときは、AIの応答と、それを読んだ自分の判断の、両方を測る必要があると感じています。

信頼は、気持ちではなく経路でつくる

実用的な作法は、案外地味です。既知の問題で試す、根拠が薄いときにどんな応答をするか観察する、得意な作業と苦手な作業を分ける、重要な判断に使ったときは、どの出力を何で確かめたかを短く残しておく。

すべてのやりとりを記録する必要はありません。残しておくとよいのは、判断に直接触れる部分だけです。何を入れて、何が返ってきて、どこを採用し、何と照らし合わせ、どこからは使わないと決めたか。「AIを使いました」だけでも「使いませんでした」だけでも、説明として足りない気がします。大事なのは、その判断がどんな確認を通っているかの方ではないかと思います。

おわりに

AIを拒んでも安全になるわけではないし、任せきりにすれば賢くなるわけでもありません。透明でない道具と付き合う作法を、勘ではなく、後から辿れる経路にしていく作業だと感じています。同時に、検証の負担を使う側だけに背負わせず、組織や提供側にも置きどころを分けていく必要もありそうです。

最後にひとつだけ。AIを使う前に、自分は何を問いたかったのか。AIの答えを読んだあと、その問いは深まったのか、それともAIが答えやすい形に丸められただけなのか。AIは、問いを閉じる道具にも、広げる道具にもなり得ます。皆さんは、AIを使ったあとに、どんな問いが手元に残っていますか。