研究内容

透明酸化物中のコバルトのスピン状態

 In2O3のInをCoで一部置換したIn2-xCoxO3において,Coイオンの24dおよび8bサイト占有,価数状態,およびスピン状態調べました.製品のX線粉末回折パターンのRietveld解析により,Co2+イオンとCo3+イオンはそれぞれ24dサイトと8bサイトを占有する傾向があることが明らかになりました.X線光電子分光分析は,低ドープ領域(\(x<0.044\))ではCo2+イオンが優勢であり,高ドープ領域(\(x>0.052\))でCo3+イオンが現れることを示しています.磁化率測定により,低ドープ領域での有効ボーア磁子数 \(p_{\textbf{eff}}\)は約3.8であり,これは高スピン(\(S=3/2\))状態のCo2+に対する値と一致しています.\(p_{\textbf{eff}}\)はCo3+イオンが現れる高ドープ領域で減少します.これらの結果は,Co3+イオンが低スピン(\(S=0\))状態または中間スピン(\(S=1\))状態にあることを示しています.

H.Kumagai, Y.Hara, K.Sato, Journal of Magnetism and Magnetic Materials Volume 489, 1 November 2019, 165358, “Site occupancy, valence state, and spin state of Co ions in Co-doped In2O3 diluted magnetic semiconductor”, https://doi.org/10.1016/j.jmmm.2019.165358

 

 In1.9-xAlxCo0.1O3におけるコバルトイオンの価数とスピン状態,および室温での磁化について調べました.X線光電子分光法により,Alが含まれていないサンプルにはCo3+とCo2+が混在していることが分かりました.Al含有量が増えるとCo2+の存在割合が増え,最終的にはCo2+のみとなりました.磁化率の解析では,Co2+ではスピンと軌道の両方が磁化される一方で,Co3+は低スピン状態にありました。真空アニーリングによってCo3+がCo2+になり,このときのCo3+からCo2+への変換割合が高いほど,室温での磁化が強くなることが分かりました.

H.Kumagai, Y.Hara, K.Sato, Journal of Magnetism and Magnetic MaterialsVolume 564, Part 2, 15 December 2022, 170150, “Chemical-substitution dependence of magnetization strength in room- temperature ferromagnetism of dilute magnetic oxides: Valence and spin state of slightly doped cobalt in (In,Al)2O3”, https://doi.org/10.1016/j.jmmm.2022.170150

磁気形状記憶効果を示す(La,Sr)CoO3の研究

 磁気形状記憶効果を示す双晶結晶の菱面体La0.8Sr0.2CoO3の磁歪の結晶方位依存性を調べました.擬立方晶の[111]c方向と[110]c方向に磁場を引加したときの磁歪は,大きなヒステリシスと残留歪みを示しました.一方で,[001]c方向に磁場を引加したときの磁歪は,ヒステリシスも残留ひずみも示しませんでした.[111]c方向と[110]c方向の磁歪の大きなヒステリシスと残留ひずみは,菱面体の結晶軸[111]r方向を磁気困難軸とする結晶ドメインの再配列で解釈できることが分かりました.[001]c方向の磁歪にヒステリシスと残留が無いのは,すべてのドメインの[111]r軸の[001]c方向への射影が等しく,結晶ドメインの再配列が生じ得ないためと考えられます.このように,La0.8Sr0.2CoO3の磁歪の結晶方位依存性は,結晶ドメインの再配列によって説明することが出来ます.

論文:K. Sato, K. Minagawa, M. Nakamura, T. Ichikawa, Y. Hara, K. Nakaoka, Y. Kobayashi, K. Asai, Journal of Alloys and Compounds 752 327-331,2018, “Crystal orientation dependence of magnetostriction of twinned perovskite cobalt oxide” https://doi.org/10.1016/j.jallcom.2018.04.139

上記と同じ物質について,室温でも磁気形状記憶効果を示すことを報告しました.印加磁場が6 Tと大きいですが,酸化物では初めての報告です.

論文:A. Yokosuka, H. Kumagai, M. Fukuda, K. Ando, Y. Hara, and K. Sato, JAIP Advances 10, 095217 (2020);”Room temperature magnetic shape-memory effect in strontium-doped lanthanum cobaltite single crystals”, https://doi.org/10.1063/5.0021751

ペロブスカイト酸化物中のコバルトのスピン状態の研究

ペロブスカイト酸化物LaCoO3系のCoイオンのスピン状態を最大磁場67 Tまでの磁化測定から調べました.LaCoO3は,4.2 K, 60 T付近で磁気転移を示しました.これは一部のCoイオンが低スピン状態から高スピン状態に転移したと考えられます.残りのコバルトイオンは,67 Tまでの磁場で転移はしませんが,低スピン状態から中間スピン状態へと転移することによって,100 Kの磁化の異常に寄与していると考えられます.Laの一部をSrで置換した(La,Sr)CoO3では,Co4+を中心としたCo3+の中間スピン状態が形成されると考えられます.また,Coの一部をRhで置換したLa(Co,Rh)O3では,LaCoO3で見られた磁気転移が低磁場側へとシフトし,高スピン状態が安定することがわかりました.

論文:Keisuke Sato, Akira Matsuo, Koichi Kindo, Yoshihiko Kobayashi, and Kichizo Asai, J. Phys. Soc. Jpn. 78, 093702 (2009); “Field Induced Spin-State Transition in LaCoO3https://doi.org/10.1143/JPSJ.78.093702

Keisuke Sato, Akira Matsuo, Koichi Kindo, Yoshihiko Kobayashi, and Kichizo Asai, J. Phys. Soc. Jpn. 80, 104702 (2011); “Spin State of Co Ions in Lightly Doped Strontium LaCoO3: Via Study of High-Field Induced Spin State Transition” https://doi.org/10.1143/JPSJ.80.104702

Keisuke Sato, Akira Matsuo, Koichi Kindo, Yoshiaki Hara, Kanichiro Nakaoka, Yoshihiko Kobayashi, and Kichizo Asai, J. Phys. Soc. Jpn. 83, 114712 (2014); “Field-Induced Spin-State Transition in LaCo1−xMxO3 (M = Al, Ga, Rh, and Ir)” https://doi.org/10.1143/JPSJ.80.104702

過去の研究実績:誘電体材料における電気光学効果の研究

現在の磁性材料の研究に加えて、過去に富士通研究所に在籍していた際に、誘電体材料、特にランタンを添加したチタン酸ジルコン酸鉛(PLZT)の電気光学効果に関する研究を行っていました。富士通研究所での研究では、(100)、(101)、(111)の異なる結晶方位を持つPLZTエピタキシャル薄膜を作製し、その電気光学効果の結晶方位依存性を明らかにしました。この研究を通じて、PLZTにおける電気光学効果が、分極クラスターの切り替えに伴う屈折率楕円体の回転によって説明できることを示しました。これらの研究成果は、下記の査読付き学術論文として発表されています。

  1. K. Sato et al., J. Appl. Phys. 102, 054104 (2007).https://doi.org/10.1063/1.2774004
  2. K. Sato et al., Appl. Phys. Lett. 87, 251927 (2005).https://doi.org/10.1063/1.2147722

現在の研究室では磁性材料を中心に研究を行っていますが、誘電体材料に関する過去の研究経験も、機能性材料の物性解明と応用に向けた幅広い視点を提供してくれています。

過去の研究実績:LaCoO3の磁歪と磁化の研究

LaCoO3は、低温では非磁性の低スピン状態(\(S=0\))ですが、温度上昇とともに磁性の励起状態が現れることが知られています。この磁性状態の詳細を明らかにするために、LaCoO3の磁歪を35 Tまでのパルス強磁場中で測定しました。磁歪は磁場の2乗に比例し、非磁性基底状態と磁性励起状態間のスピン状態遷移モデルでよく説明できました。励起状態のg因子と軌道縮退度をそれぞれ3.35と1と仮定すると、磁歪の温度依存性は励起エネルギー140 Kでよく再現できました。これらのパラメータは、以前のESR測定の結果と一致しますが、磁化の大きさを説明できません。磁歪と磁化の圧力依存性を比較した結果、LaCoO3の磁気弾性現象を定量的に記述するには、格子体積のみで表現される弾性エネルギーでは不十分であることが示唆されました。

K. Sato et al., J. Phys. Soc. Jpn. 77 (2008) 024601. “High-Field Magnetostriction of the Spin-State Transition Compound LaCoO3” https://doi.org/10.1143/JPSJ.77.024601

過去の研究と現在の研究の関係

現在の磁性材料の研究に加えて、過去に誘電体材料やペロブスカイト酸化物LaCoO3におけるコバルトのスピン状態に関する研究に取り組んできました。

誘電体材料では、ランタンを添加したチタン酸ジルコン酸鉛(PLZT)の電気光学効果の結晶方位依存性を明らかにしました。この研究を通じて、PLZTにおける電気光学効果が、分極クラスターの切り替えに伴う屈折率楕円体の回転によって説明できることを示しました。この知見は、現在の(La,Sr)CoO3における磁場誘起歪みの異方性の理解と,透明酸化物In2O3へのCo添加効果の研究に生かされています。

LaCoO3のパルス強磁場下での磁歪測定から、Co3+イオンのスピン状態遷移が磁気弾性効果に与える影響を考察しました。この研究では、格子体積のみで表現される弾性エネルギーでは磁気弾性現象を定量的に記述するのに不十分であることが示唆されました。この知見は、現在の磁気形状記憶効果を示す(La,Sr)CoO3の研究へと発展させることができました。

このように、誘電体材料やペロブスカイト酸化物LaCoO3での研究で培った物性評価の経験と、スピン状態や結晶方位に着目した機能探索の視点が、現在の磁性材料研究に活かされています。多様な物質群での研究経験が、新しい磁性材料の開発と機能開拓に役立つと考えています。

スピン状態について

スピン状態

スピンとは何か?

 スピンは電子などの素粒子が持つ固有の角運動量で,素粒子の基本的な性質の一つです.電子のスピンは+1/2または-1/2の二つの状態を取り得ますが,これは古典的な物理学における物体の回転とは異なる量子力学的な現象です.スピンは磁場中でエネルギーの異なる状態を取ることができ,これが物質の磁性の起源となります.

コバルトイオンのスピン状態

 コバルトイオン(Co2+またはCo3+)において,スピン状態は電子配置によって決定されます.特に,コバルトの3d軌道における電子の数とそのスピンの向きによって,コバルトイオンのスピン状態は「低スピン状態」と「高スピン状態」に分けられます.低スピン状態では,電子はできるだけスピンが反対向きになるように配置され,エネルギーが最小になります.高スピン状態では,より多くの電子が同じスピン方向を持ち,エネルギーが高くなります.

スピン状態と物質の性質

 コバルトイオンのスピン状態は,そのイオンが形成する化合物の磁性や色,電気伝導性などの物理的,化学的性質に大きく影響します.例えば,高スピン状態のコバルト化合物は強磁性を示すことがありますが,低スピン状態の場合は磁性が弱まるか全く示さないことがあります.

コバルトの電子配置

コバルトの原子構造と電子配置

 コバルト(Co)は原子番号27を持つ元素で,その電子配置は通常 [Ar] 3d7 4s2 です.3d軌道には7つの電子が,4s軌道には2つの電子が配置されています.

コバルトイオンの形成と電子配置

 コバルトイオンは,コバルト原子が一つまたは複数の電子を失うことで形成されます.最も一般的なイオン化状態は+2と+3です.
 Co2+: [Ar] 3d7 (一般的には4s軌道の2つの電子が最初に失われます)
 Co3+: [Ar] 3d6

低スピン状態と高スピン状態の電子配置

 コバルトイオンの電子配置は,結晶場の影響を受けて変化します.結晶場の強さに応じて,コバルトイオンは低スピン状態か高スピン状態のいずれかを取ります.

低スピン状態(強い結晶場):電子はできるだけエネルギーの低い軌道にペアリングされ,スピン数が最小化されます.
高スピン状態(弱い結晶場):電子は高いエネルギーの軌道にも分散し,可能な限り多くの未ペアのスピンを持ちます.

結晶場理論

結晶場理論は,配位子に囲まれた中心金属イオンの電子状態を説明する理論です.配位子からの静電場(結晶場)によって,中心金属イオンのd軌道のエネルギー準位が分裂します.この分裂の大きさと様式は,配位子の種類や配置によって決まります.八面体型の配位構造では,d軌道は2つのエネルギー準位(t2gとeg)に分裂します.結晶場分裂エネルギーΔが大きい場合,低スピン状態が安定になり,Δが小さい場合は高スピン状態が安定になります.

コバルト化合物における結晶場分裂

 コバルト化合物では,Co2+やCo3+イオンは通常6配位の八面体環境にあります.この場合,d軌道はt2g軌道とeg軌道に分裂します.結晶場分裂エネルギーΔとスピンペアリングエネルギーPの大小関係によって,低スピン状態と高スピン状態が決定されます.  
Co2+の場合:
低スピン状態(Δ > P): (t2g)6 (eg)1,S = 1/2
高スピン状態(Δ < P): (t2g)5 (eg)2,S = 3/2
Co3+の場合:
低スピン状態(Δ > P): (t2g)6 (eg)0,S = 0
高スピン状態(Δ < P): (t2g)4 (eg)2,S = 2

スピン状態の温度依存性

結晶場分裂エネルギーΔとスピンペアリングエネルギーPは温度に依存します.そのため,コバルト化合物のスピン状態は温度によって変化することがあります.例えば,LaCoO3では,低温では低スピン状態が安定ですが,温度上昇とともに中間スピン状態(S = 1)や高スピン状態が混在するようになります.このスピン状態の変化は,LaCoO3の磁性や電気伝導性,熱伝導性などの物性に大きな影響を与えます.