上司への説明と専門職の協働は、危機時の判断を支えられるか
一文紹介 この論文の著者である熊田智徳氏と舘山優佳氏が調べたのは、危機時の組織的意思決定である。焦点は、組織は個人の限られた合理性を補えるか、という問いにある。限られた合理性とは、時間や注意力に限りがあり、完全には合理的に判断できないことである。コンピュータ上に職員役のエージェントを置き、統制のない未分化型、上司と部下を置く階層型、異なる専門の職員が協働する専門分化型を比べた。各エージェントには、課題に取り組むと減り、休むと回復する「注意力」という数値が設定されている。モデル内では、階層型と専門分化型が熟慮を促した。だが注意力低下が課題や協働相手の探索と連携を弱め、熟慮への切り替えを起こりにくくした。個人の判断を組織が補う仕組みと、それが消耗によって働きにくくなる過程を示した研究である。 この論文から学ぶ 組織の決定は、いつも問題を見つけ、解決策を比較し、最善案を選ぶ順序で進むわけではない。ゴミ箱モデルは、参加者、問題、解決策、意思決定の機会が偶然に出会うことで決定が生じると捉える。この曖昧な場へ、本論文が導入した二重過程理論とは、人の思考を、速く省力的な「システム1」と、遅く労力を要する「システム2」に分ける考え方である。ゴミ箱の中に、個人の「速い思考」と「遅い思考」を置いたのである。 著者らが構築したBehavioral Garbage Can Model(BGCM)では、職員一人ひとりが二つの思考様式と注意力を持つ。注意力は初期値50から課題対応によって減り、行動しない時間には回復する。ここで効いてくる工夫は、注意力が処理能力だけでなく、課題や協働相手を見つけられる範囲にも作用することだ。この範囲を、モデルでは「探索範囲」と呼ぶ。過去に何を処理してきたかが、次に何を発見できるか、誰と連携できるかまで変える。モデルへ時間の履歴が入る。 計算実験では、組織による統制のない未分化型、上司と部下を置く階層型、専門属性の異なる職員を組み合わせる専門分化型を比較する。階層型では部下が上司を説得するとき、専門分化型では異なる専門の職員が協働するときにシステム2を選ぶ。つまり組織は、能力を足し合わせる箱というより、「他者へ説明しなければならない関係」を作って熟慮を起動する回路として実装されている。 この設定なら、階層型と専門分化型が未分化型より熟慮を使いやすいこと自体は、ある程度予告されている。著者も、その結果がプログラムの仕組みと表裏一体であると留保する。無限に通常課題が補充される条件では、システム2使用率は未分化型19.1%、階層型29.4%、専門分化型28.6%。20件の危機について、20回の試行における危機解決数の平均は、それぞれ6件、16件、16件だった。これは実在組織の効果量ではなく、設定したモデルの内部比較である。 より印象に残るのは、どの構造が勝ったかではなく、構造がどのような処理の形を作ったかである。論文の内部分析では、階層型は上司を中心に一つの課題へ資源を集める集中処理を形成した。専門分化型では、小規模な異部門協働が空間の各所で同時に生じ、複数の課題を分散して処理した。組織図の違いが、集中と並列という時間的・空間的な様式へ翻訳されている。 ところが、課題対応が長引くと、この組織効果は内側から弱くなる。注意力が低下すると探索範囲が狭まり、部下は上司を、職員は異なる専門の協働相手を見つけにくくなる。説明相手が制度上は存在していても、熟慮を起動する関係が実際には成立しない。システム1が再び強まり、失敗、先送り、やり過ごしが増える。著者はこの連鎖を、結論として直接書き込んだのではなく、注意力、探索、連携の相互作用から現れた構造的帰結として報告している。ただし、その経路は注意力と探索範囲を結びつけた実装にも依存する。 ここから、組織の合理性について静止画とは違う見方が立ち上がる。合理性は組織図に貼り付いた能力ではない。説明や協働の関係が実際に結ばれ、それを支える注意力が残っているあいだだけ生じる状態として読める。組織は個人の限られた合理性を補いうるが、その補完機構も構成員の消耗によって失われうる。 私は、注意力の消耗によって探索範囲が狭まり、熟慮を支える関係まで働きにくくなる過程を、「視野が狭くなる」こととして受け取った。判断の密度が高まる時代には、個人に慎重さを求めるだけでなく、説明や異分野との協働を通じてシステム2へ切り替えられる仕組みをどう保つかが、ミスを減らす設計課題になるように思う。 「見過ごし」「先送り」「やり過ごし」の意味も、この時間軸に置くと一つではなくなる。有限条件で見過ごし率が上がるのは、課題解決によって課題数が減った結果であり、実質的な悪化ではないと論文は注記する。著者はまた、すべての課題へ反応せず、解ける問題を限られた注意力で逐次処理することを、成果を維持する満足化として解釈する。一方、注意力の低下後に増える先送りややり過ごしは、探索と連携が縮んだ徴候でもある。同じ件数でも、それが課題の枯渇、資源の適応的な配分、連携の崩れのどこから生じたかで意味が変わる。 論文はさらに、福島第一原発事故対応をBGCMの語彙で読み直す。これは数値モデルへ実データを当てはめた検証ではなく、政府事故調査資料などに基づく説明的な単一事例分析である。著者の解釈では、少人数への資源集中は難しい問題へ注意を向け、ノイズを減らす一方、緊急参集チームとの異部門回路を弱めた。作業スタッフを伴わず少人数で対応を続けた疲労も、専門家の意見が政治判断へ戻りにくくなる過程と重ねられる。ただし論文は、全員が危機管理センターに残れば迅速な決定ができたとも述べない。熟慮には資源の集中とノイズの除去も必要だからである。 この重ね合わせが残す設計課題は、集中か分散かという二者択一ではない。ノイズを減らしながら異部門との情報回路を切らないこと、決定を集中させながら注意力を少数者へ固定し続けないことである。モデルは意思決定の質を十分には測っておらず、二重過程も単純化され、事例は一件に限られる。それでも、組織の構造を「誰が誰に説明できるか」と「その関係を何時間維持できるか」の組合せとして見せた点は鮮明だ。このモデルから立ち上がるゴミ箱は、合理性の単純な反対側ではない。熟慮を支える回路が、有限の注意力のもとで作り出す影として見えてくる。